見えるのはおかしい…天眼について003

深見東州先生(=半田晴久氏)は、世界中に愛をワールドメイトのリーダーです。

神界からの神通力(3)

 それでは、天眼通力というものが、どんなものであるか解説しよう。

 ここでも、正と邪の天眼通力を区別しなければならない。

 まず、正神界の天眼通力というのは、かすかに、イメージの中でわかるというものであり、必要な時、必要なものだけが見えるというものである。常時見えているというものではない。

 これに対して邪神界の天眼通力は、常時見えている。毎日霊眼で見える、しかもカラーではっきり見えるというのが特徴だ。

 少し話が前後するが、すべての神通力についていえる大切な点をお話ししたい。

 それは、どの通力も漏尽通力に帰結しなければ意味がないということである。

 たとえば、いくら天眼が見えて「あなたは○月○日事故で死ぬのが見えます」と教えてあげても、それを聞いた人は救われるであろうか。「一週間たったら、仕事で失敗しますよ」と言って、「それでは、どうしたらいいですか?」と聞かれても、「さあ、それはわかりませんね。よく注意してください」と答えるだけでは、なんのために天眼が開けたのかわからない。

 仕事の失敗を予言して、それを聞いた本人がそれを苦にし、仕事ができなくなるというのでは意味がない。

 相手の気持ちがわかり、相手の運命がわかり、天眼が見え、天耳が聞こえたとしても、その人の幸せにつながらなければ、何の意味もないということになるのである。

 そう考えると、正神界から来る天眼通力が必要最少限のものだという理由がわかってくる。

 わけもなく常時見えていると、それにとらわれて「何故見えたんだろう?」と考え、日常生活がおろそかになる。したがって、神様はやたらに見せるようなことはしない。必要なとき、必要な分だけ見せてくださるのである。また、神様は人間の努力と精進を重んずるので、天眼通力゛か本人の精進努力に障るときは、お見せにならないのが本当だ。私も、除霊や特別なとき以外は一切天眼は開かない。どんなに美しい景色を見ても、絶えず地縛霊の気味悪い顔が見えるとなると、決して幸せな人生であるとはいえないからだ。

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tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久 通力

天眼の仕組み…邪神界の天眼はキツネが見せている004

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神界からの神通力(4)

 次に、天眼通力はなにが見せているかということについてお話ししよう。

 正神界では、守護神とかいろんな神様が見せてくださる。一方、邪神界のほうは、ほとんどキツネが見せているのである。その中でも、千里眼の能力を持った人というのは大体が稲荷ギツネだ。稲荷ギツネが憑いているというのは、千里眼が利く人なのである。

 どごどこでなにをしているのが見える、あなたの過去はこうこう、こうだったといって透視するわけだ。その見せ方は、目の網膜のところに後頭部からフィルターのように稲荷ギツネがかかって見せるのである。

 キツネには野ギツネをはじめ、金毛九尾、金毛八尾、銀毛八尾、銀毛七尾というようにいて、尻尾の数が多いほど化け方が巧みであり、智恵もある。最高は九本だが、この金毛九尾というのは一見、正しい人のように、また、神様のように見せるのを得意とする。

 キツネはもともと頭の良い動物で、非常に巧みに神様らしく見せたりする。

 よく「われこそは○○の神なり!」という霊能者・宗教家がいるが、正神界の神様は、本人みずから名前を語りたがらない。「われこそは○○なり」というのは、ほとんど邪神である。この三次元の世界でも、教養の高い人ほど、誇らしげに「私は○○です」と、これみよがしに名乗ったりはしない。高貴な人は、紹介されても名乗らないでいいときは名乗らないものである。神霊界でも守護神、守護霊のような高級神霊のあり方はこれと似ている。

 もう一つ天眼で多いのはヘビだ。ヘビが憑くと、キツネほどではないがカラーではっきり見える。よくボーッと白日夢のように見えたり、夢のお告げで見るというのはこれだ。たとえば、熱心な日蓮宗系の人たちには白ヘビが憑いている場合が多く、その場合、夢のお告げや霊視を見せることが多い。これは正神界の白蛇もあり、その人の志と姿勢によって正邪を判別するしかない。

 また、守護神とか守護霊とか先祖だと名乗ってそれらしく夢で見せる。常時、夢のお告げを受けているというのは、ほとんどはヘビが憑いていると考えてよい。

 ある瞬間パッと見えたというのではなく、常時、見えているといって霊能力を誇っている人には「ああ、この人にはキツネが憑いているな」とか、「この人は、ヘビが憑いている」と審神できるのである。その他、天眼に関していえば、たまには天狗や龍神が見せることもあるが、シェアは、圧倒的にキツネとヘビが多いのである。

 人間性でみると、これみよがしに誇るというのは稲荷ギツネの性質である。動物霊編で詳しく後述するが、気分がコロコロ変わる、ヒステリー気味で気性が激しい、プライドが高い、平気でウソをつくようなのも、稲荷ギツネの性格である。霊視の利く霊能者で、こういう性質の人は、間違いなくキツネ憑きの霊能者であるといえよう。

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天耳通力はひそかに聞こえてくる005

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神界からの神通力(5)

 さて次は、天耳通力についてであるが、本当の天耳通力とは、正神界の天耳通力のことをいう。それは、静かに聞こえるとも聞こえないともいえないような感じで、御神霊の声がかすかに感得されるものなのである。

 自分の心の中で、ひそかに、おのずから彷彿としてわかるものなので、それが常時聞こえてくるというのはやはり異常である。

 人間は肉体という形を持っている。三次元の肉体を持って生まれている。

 三次元の法則とは、自然界の法則のことだ。自然界の法則を造られたのは神様であり、人間が自然の状態で生活するのが神様の御心でありましょう。したがって神様は、あまり不自然なものを好まれない。もちろん、ここぞという時は知らせてくださるが、そうでない場合は、なるべく自然なかたちを尊重されるのである。

 「正法に不思議なし」というが、異常なくらい聞こえるというのは、やはり魔物が憑いている証拠である。

 特に天耳通力(正神界)の場合は、かすかに聞こえてパッとわかる、必要最小限のものである。神様はなぜ必要最小限のものしか言われないかといえば、先に述べたように、あまり多くを言い過ぎると人間が努力しなくなるからである。人としての進歩・発展は、いろいろな苦労、失敗、経験を通してなされていくものであり、それがなんでもお告げで動く、見えてから行うということになれば、人としての努力をしなくなってしまうからだ。

 だから神様は、人の進むべき道の概要をパッとお知らせになるだけで、全部をお教えにならないのである。人に考えさせる、努力させる、こういうのが、正神界のごく自然なあり方なのだ。

 だから、常時見えている、聞こえているというのは、神様のご意志に反することになるので間違っているというわけだ。

 特に、一部の日蓮宗系の宗教団体などでは、「みんなの気持ちが霊感でよくわかる」とか「耳元で神様がささやかれる」といって誇らしげにしている人がいるが、これは、ほとんどがキツネのしわわざである(タヌキやヘビの場合もある)。

 また、普通の人でも、精神的なストレスが高じて耳もとで声が聞こえるようになることがあり、その声に振りまわされてひどいノイローゼになってしまうことがあるが、これもほとんどキツネがやらせている。

 一見、天耳通力のようだが、はっきりした声で生々しく聞こえるというのは、現実に近い次元であり、本来、神様はかすかな存在であって、神霊の声とはかすかに聞こえてくるものなのである。

 しかし、金毛九尾ギツネはいかにも神様のごとく思わせて、正神界の神様を装いながらくる場合もあるから、気をつけなければならない。そういうのを「妖言過言に騙される」という。

 妖言とは、「これから先、天変地変が起こる」「お前は騙されているんだ」「これからの未来はこうなる」などと、おどかしたりすることである。

 過言とは、「一年たったら、あなたは天下を取る」とか「○月○日にはこうなる」というように、言い過ぎることである。

 たとえば、何年か前、大阪の予言者が「いついつに大地震が起きる。もし起こらなかったら切腹する」と大見得を切ったがついに地震は起こらず、その人は切腹未遂をしたということがあった。こんな予言も、妖言過言のたぐいである。

 予言は天耳通力で聞くわけだが、それが神様の言葉らしく語られてきたり、かすかに語ってきていかにも神様らしく思えたら「ああ、神様の言葉だな」と騙されてしまうのである。

 時には、声を低くおとして神様のムードを漂わせ「神のお告げなり」と厳粛っぽく言ってくる場合もある。

 次元の低い動物霊は、耳もとでボチョボチョ話しかけてくるので、すぐ動物霊だとわかるが、かすかに語りかけてくると、神様らしく思えて騙されやすい。

 多くの宗教家は、最初はいいのだが、何年かしてくると、妖言過言に騙されて過大な予言をし始めてくるのである。

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tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久 通力 お告げ

神霊がかかるのは生活修業のできている人006

深見東州先生(=半田晴久氏)は、世界中に愛をワールドメイトのリーダーです。

神界からの神通力(6)

 それでは、どういう形で邪神のやり口を見破ることができるのかお話ししよう。それには二つある。一つは妖言過言の内容を分析して、そこに愛と真心があるかどうかを調べるのである。

 これみよがしに、ありのままの霊告を伝えてくれても、そこに真心がなければ正神界のものではない。

 二つめは、前向きに話してくれるかどうかだ。たとえば、「○月○日に死んでしまう」というお告げを受けたとする。そういうマイナス的なことを言うのは邪神である場合が多い。たとえ、それが真実の神様のものからであろうと、人たるものはそれをそのまま伝えるべきではない。どうぞそうならないように、どうしてもそうなるようだったら、大難を小難に、小難を無難にまつり変えてやってほしい、というように願うのが本当である。そういう場合、逆にこちらからは真心でもって言い返していくのである。

 「神がこう言っていました」と、そのまま告げる人は正神を取り次ぐ人としては信じられない。「ケガをする」と出ても、「なんとか健康に注意してください」というように、常に愛と真心でもって、前向きに言わなければ本当ではない。

 歴史上の話として、奈良時代の弓削道鏡が神仏のお告げであると偽って皇位を望んだ時、和気清麻呂という廷臣が宇佐八幡宮の正しいご神勅を天皇にお伝えしたために、道鏡の怒りを買ったけれども、皇位は無事に守られたと伝えられている。日常の清浄なる生活修業をきちんとして、御魂を磨いていた当時の宇佐八幡宮の巫女に、和気清麻呂公の至誠に感心した御神霊がかかって、正しいご神示を巫女の天耳通力を通して下されたのである。

 私たちの日常生活も同じであって、誠心誠意、真心で神にお仕えしていると高級神霊が神がかるのだが、食物に強度の偏りがあるとか、生活態度が変だとか、生きざまが不自然でアンバランスであると、いくら神様をお呼びしても邪気が寄ってくるのである。

 和気清麻呂も至誠まったき人だったので、正しいご神勅を伝えることができたのである。

 私たちも、妖言過言のご神示、天耳通力にごまかされないように注意しなければならない。

 内容面からみても、言葉の格調からみても、言霊の真意からみても、これは正神界の神様から来たものといえるとき、初めてご神示として受けとることができるのである。

 神様らしき言葉が聞こえてきても、それにとらわれないという気持ちが大切である。それは正しい真心によって、只今、只今を真剣に生き尽くす努力が必要なのである。

 人の幸福、夜の安寧を祈り、神様の大御心がますます栄え増さんことを念願しつつ、人の道にかなった謙虚な姿勢で人生を送っていくならば、いくら間違った予言がきても、妖言過言がきても、それに動じないで誠の道一筋に生きていくことができるのである。

 そういう人には、邪霊も、金毛九尾もつけいることができない。

 正しい誠の真心一点、これが、正神界に感応するか邪神界に感応するかの決定的な相違なのである。

 そういう生きかたこそが、正神界の神様と常に共にいて、邪神から身を守る唯一の方法なのである。

 真心の光は、邪神もこれを犯すことができない。このことをよく肝に銘じておいてほしいのである。これが正法の一厘であるからだ。

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tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久 金毛九尾 宇佐 真心

自他通力…真心で相手の気持ちを読み取る007

深見東州先生(=半田晴久氏)は、世界中に愛をワールドメイトのリーダーです。

神界からの神通力(7)

 自他通力(他心通力)とは、相手の気持ちや境地がわかる能力のことだ。

 わかるといっても、正神界の自他通力はしょっちゅう人の気持ちがわかるというものではない。必要な時にパッとわかって、パッと心が読めるというものである。やたら日常生活で人の気持ちが全部読めたら、うるさくてしょうがない。必要なときに相手の気持ちがわかるというだけで十分なのである。

 ところで、邪神界、魔物の自他通力というのは、しょっちゅう、わかり過ぎるくらいわかるというものである。実は、これはタヌキが憑いてやっているのだ。

 タヌキは、相手の気持ちを読むのがうまい動物だ。たとえば、大阪の商売人などの中に、お腹がデップリして、「あなたは今、こういうふうに困っているだろう。わかるよ、アッハッハ!」というようなタイプがそれである。

 タヌキの特色は、よく眠る、パクパクよく食べる、ペラペラよく喋る、言っていることが支離滅裂で堂々巡りが多い、いばりたがる、偏食が多いなどである。これも動物霊編で詳しく後述する。一般にその神通力は、近い未来の予知能力や、失せ物の発見能力、腹で見抜く能力などである。だから、人の気持ちがよくわかるのである。天眼はキツネほどではない。

 それに比べて、正神界の自他通力を持つ人は済みきった目をし、水晶のような気持ちと真心があり、無欲なので、相手の気持ちが全部写るのである。

 こういう、済みきった心の持ち主になることが自他通力の基礎なのだ。

 これが、強い人欲から発するとタヌキの自他通力になってしまう。

「俺は他心通ができるのだ」と威張る霊能者がいるが驚くことはない。そういう人が死ぬとどういうことになるかといえば、畜生道や、行者霊界、魔界に落ちて、人霊ダヌキというものになる。これも、後で詳説しよう。

 キツネの天眼通力を信奉してどこまでも神様だと信じて死んだ人は、人霊ギツネになるのである。そういう人は、生前、霊能力という能力に自分の気持ちと魂を売ってしまっているのである。

 能力は得られるけれども、本当の人の道を成就できていないので、死んだら絶対に正常な霊界には行けない。至誠と善徳以外は、いくら霊界に通じ霊能があっても正道をまっとうしてすばらしき霊界に行けることとはならないのである。

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tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久 霊能者

運命通力-こわい情勢判断の誤り008

深見東州先生(=半田晴久氏)は、世界中に愛をワールドメイトのリーダーです。

神界からの神通力(8)

 昔、中国のある王様が、戦の勝ち目について霊能者に尋ねた。その霊能者は「天眼通力でみれば、閣下の兵が敵兵を、水際に追い詰めている姿が見えます。これは勝ち戦ですから、どんどん兵を進めなさい」と進言した。

 王様は、勇気を得て戦に臨み、その予言どおり敵兵を追いつめた。王様は、「まさに予言がピッタリあたったなァ、これは勝利だ」と感心し、喜んだ。

 そこで欲張って、残兵を一人も逃がすなと命令し、どんどん川べりへ追いつめて行ったら、しばらくして敵の遊軍が退去して攻め寄せ、とうとう王様の軍隊は全滅してしまった。

 この物語は一体どういうことを意味しているのであろうか。その霊能者は、敵兵を追いつめたということを霊眼で見た。つまり未来予知をしたのだが、それだけでは、勝ち戦になるかどうかという最も大切な勝敗決定の判断にはならない、ということだ。(これが運命通力なのだが)もっと客観情勢を冷静に判断したならわかったはずである。

 兵法の観点からいえば、緒戦で有利に闘っていても、ひょっとして敵に遊軍が隠れているかもしれない、というときは残兵をあまり深追いしてはならない。危険なことはするな、というのが常識だ。ところが、この王様は予言で勝ち戦だと言われていたので油断し、増長してしまった。どこまでも敵兵を追いかけさせ、全滅させようとしたため、冷静な判断ができずに敵の罠にはまってしまったのである。

 天眼で見たものを、次にどう判断するかが大切だということを教えているのが、この話なのである。

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tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久 霊能者 通力 予言

運命通力-こわい情勢判断の誤り -その2-009

深見東州先生(=半田晴久氏)は、世界中に愛をワールドメイトのリーダーです。

神界からの神通力(9)


 このように、前もって見たものを判断し、処理しても(それが最終的には、漏尽通力につながっていくべきものだが)、人の幸せということにつなげて考えてみるところまでいかない能力を半可通力(はんかつうりき)という。

 ある程度霊眼で見え、運命が予測できても、それをどのようにアドバイスして、正しい道を教えていくのか。正智に基づく的確な判断力が、いかに大切であるかということもこのお話しは物語っている。

 このように、いくら神通力があっても、最終的には人の道、情勢判断などを総合して、霊能力を冷静にみていく正しい眼が必要なのである。

 王様の戦の例でも、霊能者としてはあまり「勝ち戦だから大丈夫だ」とは言わないで、「勝ち戦に見えますけれども、深追いは禁物ですよ」と謙虚に申し上げておけばよかった。

 あまり太鼓判を押したので、つい調子に乗り過ぎて足下をすくわれたということだ。

 こういう点が、天眼通力・運命通力をあわせて非常に危険なところである。

 手相・人相・姓名判断・四柱推命など、いろいろ運命を予測する方法はあるが、たとえば予知能力を働かせてこの人はこういう運命だなと、わかったとしても、悪い運命の方向に行かないように、どうしたら運命が良くなるのかを漏尽通力を働かせ、前向きに生きていける助言をしていくべきだ。災いの道を避けて、幸せの道に行けるような方法を説く努力をなすべきである。

 「運命がこうこう、このように出た」ということをそのまま正直に言うか、それとも言うべき時期、また相手の性格を考えて言い方を変えるか。うまく状況判断をしていくことが必要とされる。

 運命が予測できたとき、人によって言ったほうが良い場合と、言わないほうが良い場合とがある。

 それをどう判断するか。その判断の基準は相手への真心、思いやり以外にはない。

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運命通力-こわい情勢判断の誤り -その3-010

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神界からの神通力(10)

 そのとおり話して、ショックを受けるような人だったら、「運命はこういうように出ている、大したことはないから気にしなくても大丈夫ですよ」などと、逆に励ましてあげることが神様の道にかなうものであろう。

 たとえば、易学とか気学等の場合、運命判断をする立場からいえば、人の運命をズバリ当てるのがよいのだろうが、的中率だけを誇るのは、本当の占いの道ではない。また気学・易学等をやる人は、なんでもそういう観点から判断していく思考次元の偏りがある。

 それで、そういう想念が凝結してできた易占霊界という世界に陥るのである。

 気学等をみる場合、自分が幸せになるため、人が幸せになるためにはどうしたらよいか、という観点から咀嚼し、情勢判断しなければ、運命そのものにとらわれてしまう。

 だから、易なら、易そのものにとらわれないことだ。易にとらわれないということは、易を無視することでも、易を盲信することでもない。必要なものは使うけれども、マイナスのものにはあまり固執しないという態度だ。これが運命学に対する私の態度でもある。

 運命通力の大切なところは、相手の性格を考えて、その人の運命について話してあげるというようにしなければならないことである。

 人の悩み苦しみを解決し、幸せにつなげてあげる運命通力でなかったら、魔の世界に入ってしまう。

 相手の幸せを第一とする考え方、真心の一点が、正神界の運命通力と邪神界の運命通力の分かれ道だからだ。このことをよく銘記して、占いをしたり、受けたりということを真に意義あるものにしてほしいと願う次第である。

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宿命通力-宿命を教えて努力を悟らせる(1)011

深見東州先生(=半田晴久氏)は、世界中に愛をワールドメイトのリーダーです。

神界からの神通力(11)

 次に、宿命通力である。この通力の代表的なものはお釈迦さまだ。

 法華経などでは、「あなたは前世、こういう名前の人であり、その時に出会いがあって今、私と再び会ってこの法を聞いているのだよ」というようなことを言っておられる。また、「お前は、来世○○という者に生まれ変わって、この教えを人々に説いていくであろう」「末法の時代には、こういうふうに生まれ変わるであろう」というように、前世、今世、来世のことまで予言している。

 しかし、単に宿命だけを言い切ることでいいかというと、そうではない。法の道を説きながらも、その人への慈愛の心を持って、「-だから、しっかりがんばりなさいよ」と本人に悟りを得させて、来世への希望を持たせて話してあげることだ。

 四柱推命などでは、「宿命は、こうこうだよ」と運命・宿命がわかるけれども、本人にとっては、自分がこういう生まれ方をしてきたという宿命だけを聞いて、それがどうなるのかということだ。そういう生まれ方をしてきたけれども、これからどうなるのか、何故そういう星のもとに生まれさせられたのか、という根本の理由も教えてもらわなければ、むしろ宿命を聞かないほうがよかったということもある。

 宿命通力も、あくまで漏尽通力に帰結して、はじめて意義があるのである。宿命を知ることによって、前向きに人生を歩んでいくきっかけにし、そういう宿命ではあっても、自分の努力で陰徳(人に知られない善行)を積むことによって、前世の因縁、災いが消され、幸せの方向へと進んでいくことができるということを説かねばならない。

 お釈迦さまの本意は、大慈大悲の心で宿命を説くことによって、宿命を知った当人が、ますます、生命ある限り進歩向上の方向へと向かって努力するべく、善導することにある。

 四柱推命の場合でも、「前世、こういう因縁の人は、こういう努力をしていくと、こういうふうに生まれ変わりますよ」と具体的に教えてあげられる人ならば、占いの達人の域に達するのだが、現実のところは、占いが当たるとか、当たらないとかにこだわる人が多いのが実情である。天の道から見ても、その人の将来は絶対に一〇〇パーセント決まっているということはない。たとえ九〇パーセント決まっていたとしても、人間の努力や陰徳を積む布施とか神徳を授かる信仰実践によって、宿命の命式というのは、変えることができるのである。

 印鑑占い、姓名判断にしても、ある程度は当たっている。しかしそれが本質ではない。

 本質の神霊界、神様の道から見ると、それらもひとつの方向性であって、ある真実は告げているが、絶対的な神様の御心、尺度というわけではない。ところが、神霊家は神霊万能主義に陥る傾向がある。考えてみれば、天の法則や星の運行も神の一部である。神霊だけを神とするのは独善であり、心と方法さえよければ易占いもまた善なのである。そして易占いは、絶対視することなく、参考にするというくらいの姿勢が大切だ。

 このように、運命学・宿命学というものは、絶対者の神の意図を相対的にうかがい知って、進歩向上の糧とすべきものが本来の姿であるといえよう。

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宿命通力-宿命を教えて努力を悟らせる(2)012

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神界からの神通力(12)

 最後は漏尽通力である。

 漏尽とは、漏れなく尽くす、という意味である。漏尽通力は、人の問題点、苦しみを漏れなく尽くして解決し、幸せに導く能力をいうのである。

 ひとつの例をあげてみよう。

 お金で苦労している人がいるとする。その人を天眼通力で見ると、どうなっているか
というと、苦しんでいる様子が見えるのである。天耳通力で聞くと、その人が苦しんでいる状態を説明する天の声が聞こえる。自他通力では、苦しいという声が瞬間的にパッと写ったり瞬間的にその人の気持ちがわかるのである。

 宿命通力・運命通力では、「こういう星の下に生まれているのは、前世にこういうことがあったからです。苦しいでしょう」と言ったりする。苦しんでいる人に対して、それぞれの通力である程度の状態はわかる。

 しかし漏尽通力の場合は、苦しんでいるという事実を当てるというだけではなく、具体的にそれらの苦しみを解決することができるのである。勇気を持って乗り越える。あるいは、慰めや叡智をもって乗り越えるべく、具体的な救済力を発揮して苦しみと煩悩を解決することができるのである。

 漏尽通力とは、こういう能力のことをいう。

 ここが他の通力と違うところである。

 若い時に辛酸をなめ、人の道で艱難辛苦を通過してきた人は、同じ苦しみのある人に対して、その気持ちを誰よりもよく理解することができる。

 本当にその人の苦しみが、ビンビン響いてわかる。その人の痛みがわかる。その人の心の痛みを我が痛みのごとく感じるというわけである。

 こういう、人の道で苦労して辛酸をなめた人でなかったら、本当にこの世の人たちを幸せに導くことはできない。どの宗派でも、宗祖は天から人生百般における艱難辛苦を強いられているのはそのためである。皆、漏尽通力の訓練なのである。

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