心の柔軟性を養う仏教178

ワールドメイトは、深見東州先生(=半田晴久氏)が教祖の宗教団体です。

このブログでは、ワールドメイトのリーダーである深見東州先生の「大除霊」を紹介しています。人間の本質とは何か、悪霊、除霊、カルマ、水子供養、因縁などについて解説しています。

深見東州の「大除霊」(62)

 どちらかというと人間は、いいものよりも悪いものに影響されやすくできている。つまり「人心(じんしん)これ危うく道心(どうしん)これ微(かす)かなり」というわけで、なかなか悪いものが来ても、パシッと払いのけるだけの意志力と覚醒力はもてないものなのだ。

 それを払うには、心の世界のバネが要る。悪い感覚、悪い霊覚、悪い思いになったときには、パシッといいほうへ戻すことのできる心のバネが必要なのだ。

 だが、現実にはこれがなかなか難しい。人生に挫折して、ひとたび「もうダメだ」「人生おしまいだ」といった悪い感覚の中に入ってしまうと、なかなか立ちあがれないのが人間の常である。

 実は、この心のバネを身につける方法を教えているのが、ほかならぬ仏教なのだ。もちろん、仏教だけではない。儒教も、道教も、イスラム教も、キリスト教もそれを教えているのであるが、仏教が一番奥深く、しかも幅が広くて緻密だ。細やかに最大漏らさず心の諸相を語り、かつ立て直しのあり方を具体的に示しているといえるのだ。だから、正しく幅広く仏教を学んでいると、悪い感覚を受けてペチャンとつぶされたときでも、すぐに蘇っていい感覚の自分に還ることができるようになれるのである。

 これに対して、神界だけに心を向けている人は、悪い感覚を受けたときに、それをはね返す心のバネを身につけるのが難しい。その意味で、神界だけではこの現実界を雄々しく生きていくことが難しいのである。

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tag : 深見東州 ワールドメイト 半田晴久 現実 感覚 霊覚

心の柔軟性を養う仏教(2)179

深見東州先生(=半田晴久氏)は、世界中に愛をワールドメイトのリーダーです。

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深見東州の「大除霊」(63)

 ところで、仏様は蓮の花の上に乗っておられるが、あれは一体何を意味しているのだろうか。

 周知のとおり蓮は、その根は水泥中に張ってはいるものの、水の上では美しい花を咲かせている。そして、泥水は現実界、花は心のヒダを表して仏界を象徴する。そして、その上に立つ御仏は、悟りの奥に開ける御魂の本体である神界などを象徴している。つまり、世俗の中にしっかりと根ざして、上のほうでは美しい花を咲かせて、御魂は神界に入っていることを蓮は象徴しているのだ。

 きれいな花畑で咲いている花も美しい。しかし、この汚泥と汚辱で満ち満ちている世の中では、それではあまりにも弱すぎて、現実的に立派に生きることができない。だから、蓮のように生きることが大事なのだ。蓮のようにたくましく、現実界に根を降ろさなければならないのである。

 そこから蓮華の教え、つまり、南無妙法蓮華経が出てくるわけだ。

 したがって、特に大乗仏教を研鑽していると心のバネ、柔軟性が身につくようになり、汚い思い、悪い思いが襲ってきても、パッといい感覚の方へ心を切り換えられるようになるのである。もちろん、研鑽といっても、それを頭だけでするのではなく、実践的になさねば意味のないことなのであるが。

 霊界は最初に述べたように心と念=霊の世界である。

 だからこそ、「畜生!」「残念だっ!」という念を残して死ぬと、地縛霊や浮遊霊、怨念霊となったりするわけである。このマイナスの念や想いを諭して、すがすがしい思いにさせたら霊は低級霊界から上の方へあがっていく。これが、ほかならぬ除霊というわけだ。

 しかし、生きながらに明るくすがすがしい思いをもっている人間は、死後、除霊を受ける必要などまったくない。「残念だっ、おのれ!」という想いを、自分自身でコントロールさえできれば、悪い霊界へ行くことなどない。常に、いかなるときにも、「あ、待てよ。こんなことを思ったらダメだ」と、すぐに反省して切り換わる心のバネが身につけば、霊界へ行っても迷わないですむことだろう。

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tag : 深見東州 ワールドメイト 半田晴久 蓮華 泥水

現実界の環境も大切180

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深見東州の「大除霊」(64)

 涅槃寂静だけではなく、このような心のバネ、心の柔軟性を説いたのが、仏教である。しかし、その仏教にも問題がないわけではない。なぜなら、仏教はあまりにも心の世界にだけとらわれすぎているからだ。

 周知のとおり人間は、心だけではなく肉体ももっている。しかも心は肉体の影響を強く受けるのである。その肉体的な面、言葉を換えていうならば現実界を、仏教は往々無視しているといわざるを得ない。

 具体的に述べてみよう。

 たとえば、浩宮皇太子殿下である。いうまでもなく、浩宮様は日本国の象徴としてのお立場におつきになるよう教育を受けられている。ご幼少のころからすばらしい環境で育った殿下には、悪い想いや悪い念などはあまり湧きあがってくるはずもないのである。

 反対に、劣悪な環境に育った人の場合はどうだろうか。どれほど努力しても、いい想念がなかなか湧いてこないに違いない。実は、こういう人にこそ真に仏教が必要なのである。

 したがって、「心だ、心だ、心の修養だ」という前に、いい心が湧く環境をつくることの方が、より大切なことであることがわかる。特に、小さいころからの環境づくりは一層大切なことである。「衣食足って礼節を知る」という言葉どおり、現実界がある程度豊かできちんとしていれば、悪い念は出てこないものである。

 心と想念がすべてではない。現実界がよかったら、人間はおのずからよい心をもつ。よい心をもてば、優れた感覚やすばらしい神気にもふれることができるのである。

 だから、現実界というものを改善することを棚にあげておきながら、心だ、想念だというのが、仏教信奉者の犯しやすい間違いであるといえるだろう。

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tag : 深見東州 ワールドメイト 半田晴久 環境 想念 仏教

諸行無常、諸法無我、涅槃寂静409

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深見東州の「神霊界」(130)

「生まれ変わって、再び苦しむのはご免だ」

 さて、今後人類はどうなるかというお話をする前に、仏教のお話を簡単にしてみたい。仏教と人類の将来とどんな関係があるのだ、そんな話はどうでもいいから早く将来の話をしろ、という気の早い形もいらっしゃるだろうが、そう焦らずお読みいただきたい。

 仏教を理解するには、お釈迦様が顕幽から働かれて残された大蔵法典を研究しなければならないが、詳しくその内容を語るには、あまりにも莫大である。そこで、これを要約するとだいたい次のようになる。

 この世の中は変わり続け、変化し続けるのだ。常なるものは何ひとつとしてない。つまり諸行無常である。

 そして、全てのものごとには実体がない。形あるものは必ずその形を失い、命あるものは必ず滅ぶ。そのように諸々の法には姿があるように見えても、実体はないのである。つまり諸法無我である。

 この諸行無常、諸法無我を真に悟り得たならば、人間的欲心や執着がなくなり、心おだやかで世の迷妄に霊昧自失することなく、また、本来の死生観に誤謬がなくなる。そして、いよいよ本当に苦しみのない、永遠幸福至極な世界を求めなくてはいけない。つまり涅槃寂静することを求めなくてはならない。

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tag : 深見東州 ワールドメイト 半田晴久

三法印410

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深見東州の「神霊界」(131)

 これら諸行無常、諸法無我、涅槃寂静の三つが仏教思想の根本となっており、一般に三法印と呼ばれている。

 この三法印に、世間一切皆苦、つまり一切は苦しみだ、世の中は苦しみだという考えを加えて四法印と呼ぶこともある。

 そして、苦諦(くたい)、集諦(じったい)、滅諦(めったい)、道諦(どうたい)として、苦集滅道を説き、このための実践方法として、八正道を説かれたのである。これが四諦八正道である。

 ところが、八正道のみを最重視する教えがあり、過度な潔癖沐浴主義に陥って、人間が小さくなっている。最重要の三法印からポイントがずれ、日本神道の中源からも要諦がずれているといえよう。

 とにかく、お釈迦様は、全ての人が涅槃寂静して幸せになることを願って、あれだけの大蔵法典を残されたのである。つまり、仏教の究極的目標は、涅槃寂静にあるわけだ。

 では、涅槃寂静するというのはいかなることであろうか。第二章でも述べたが、それは、人間一度死んだら、死後永遠に幸せな霊界に行き、生まれ変わってきて二度と苦しむことがない、という意味である。この世は一切皆苦である。肉体を持っていることは苦しみだ。だから、肉体を脱いだあとは、涅槃寂静して永遠に幸せに暮らし、二度と生まれ変わってきたくない-これが、仏教者の願いなのである。つまり、

 「生まれ変わって再び苦しむのはご免だ」

 というわけだが、考えてみれば、これは情けない根性である。

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tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久

カースト制度411

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深見東州の「神霊界」(132)

 だが、これもよくよく考えてみれば、インドという風土に根ざした考え方といえるだろう。お釈迦様の時代のインドには、今日でもあまり変わっていないが、カースト制度という厳しい身分制度があった。バラモン、クシャトリア、バイシャ、スードラという四つの階級があり、スードラは何度生まれ変わってもスードラ、バイシャは何度生まれ変わってもバイシャになると考えられていた。それゆえ、

 「また生まれ変わってもスードラか。ああ、生まれ変わってこなかったら、どんなに幸せだろう」

 という精神的風土が支配的だったのである。これがバックボーンとなって、六道輪廻、再生しない涅槃寂静という思想が生まれたものと思われる。

 そして、もう一つのバックボーンとして、太陽がある。ご存じのように、インドは灼熱の国である。日本のように温暖な国では、太陽は様々な恵みを与えてくれるまことに有り難い存在であるが、インドでは、人々を苦しめる憎らしい存在ではあっても、決して有り難い存在ではない。

 「太陽め!地上をジリジリと焼きつける太陽め!お前がいるから、世の中は苦しみで満ちているんだ、こんちくしょうめ。それに対して、月は何と安らかで静かなんだろう。できることなら、月のように安らかな境地に至ってみたいものだ」

 夜空と死後世界が結びつけられる連想が起きるのである。

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tag : 深見東州 ワールドメイト 半田晴久 涅槃寂静

諸行無常471

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深見東州の「大天運」(39)

仏教思想に見える消極的姿勢

 さて、話は突然変わるが、ここでしばらく、仏教の話をしたいと思う。仏教については『神霊界』で詳しく書いたが、読んでいない方のために、もう一度お話ししたい。

 仏教は、難しく考えればとてつもなく難しくなるが、簡単に考えれば「三宝印」に漸くできる。つまり、「諸行無常」「諸法無我」「涅槃寂静」の三法印である。

 「諸行無常」とは、常なるものは一つとしてなく、世の中変わり続けるという意味だ。これは『涅槃経』に見られる、釈迦の遺言でもあって、こんな話がつたわっている。

 八〇歳近くなったあるとき、釈迦は風邪をひいた。そこで弟子たちは、高齢のことだからもう亡くなるのではないかと心配したが、幸いにも元気を回復した。そのとき、弟子の一人である阿難尊者が、

 「ああ、よかった。もし、お釈迦様がお亡くなりになられたら、私たちは一体どうしたらいいのでしょう。ご病気が治って本当によかった」

 といった。すると、釈迦は答えていった。

 「阿難よ。諸行無常、世の中は変わり続けていくんだよ。いつまでも私がいると思ってはいけない。自らを灯とし、私の説いた法を灯として生きていかねばならない。精進を怠るでない」

 これが有名な「自灯明、法灯明」という、入滅する前の釈迦の遺言である。釈迦がこの世にいるのはわずかの間で、いつまでもいるわけではない。釈迦がいるときはいるときで精進に励み、いないときはいないときで精進に励む。形あるものはやがてこわれ、生命あるものは生命を失い、すべて刻々に変化していくというわけである。

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tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久 諸行無常

諸法無我、涅槃寂静472

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深見東州の「大天運」(40)

 二番目の「諸法無我」とは、諸々の形あるものは我がない。つまり実体がないということ。形のあるものは、やがて形を失い、水蒸気のように消えてしまう、という意味である。だから、永遠に変わらない無形の実相を見つめよう、という意味も含まれている。

 「変化」という側面から見れば、「変」について語っているといえよう。

 三番目の「涅槃寂静」は、一度死んで永遠に幸せな世界にいったら、二度と生まれ変わって苦しまなくてもいい、という意味。また、涅槃の境に入って、永遠の安心立命である寂静を得ようとも解される。

 以上の三つで釈迦の教えは要約され、一般に「三法印」と呼ぶわけだが、「四法印」をもって釈迦の教えを要約することもある。その場合には、先の「三法印」に「一切皆苦」をつけ加えることになる。

 世の中はすべて苦しみだ、人生は苦しみだ、というのが「一切皆苦」である。そして、苦しみとは何か(「苦諦」)、なぜ苦しみは集まるのか(「集諦」)、どうすれば苦しみをなくすことができるのか(「滅諦」)、どうすれば苦しみをなくし続けることができるのか(「道諦」)ということから「苦集滅道」となる。これが「四諦」であり、苦楽の道である人生を物語っている。そして、それらを、改善する方法が「八正道」となるのである。これらをまとめて「四諦八正道」と呼ぶ場合が多い。

 以上が「四法印」の「一切皆苦」の概略だが、これらはあくまでも四番目であって、釈迦の教えのエッセンスはやはり「三法印」にある。こう考えれば、あの膨大な大蔵法典もわかりやすいのではないだろうか。

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諸法無我に集約される仏教の思想473

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深見東州の「大天運」(41)

 さて、これまでの説明で、仏教のだいたいの趣を感じ取っていただけたことと思うが、仏教は先ほどの「変化」という面から見れば、「変」のほうに重点を置いていることがおわかりいただけたろうか。

 それは、「三法印」の二番目、形あるものはやがて形を失って無形の世界に還っていくという「諸法無我」に集約されているのだが、この仏教の思想はあまりにも消極的であるといわざるを得ない。

 「どうせ、形あるものは無に帰するのだから、何をやっても空しい……」。仏教思想にとりつかれると、どうしてもこういう傾向が現れてくる。そしてついには、生きていること自体にも空しさを覚えるようになる。

 むろん、真正の釈迦の教えはもっと明るく、積極的である。ただ、インドという社会と風土、中国という社会と風土を経て、日本に伝わるまでの間に、こう色づけされたのである。

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霊界で見た釈迦と弟子たちとの交流474

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深見東州の「大天運」(42)

 ところで、霊界で見た釈迦と弟子たちとの交流は、絶えずユーモアと笑いに満ちていて、楽しくかつ真剣なものであった。ただ、釈迦は聖者扱いされていたので、

 「……と、釈尊は曼荼羅華を降らしながら、富楼那尊者のジョークに対して、地面に手を叩きつけながら笑いころげた。そして、あまりに笑いすぎたため、しばらく頬がひきつり、得意の説法ができなかったのである」

 という場合の描写が、仏典結集、すなわち入滅後、間もなく行われた仏典の編纂のときに、採用されなかったのである。ついでながらいえば、イエスのそういう面もバイブルには載っていない。当然のことだったと思う。私が編集責任委員だったとしても、やはり権威が下がるので、採用しなかったであろう。

 しかし、愚鈍な周梨槃特のような人物や、無教養な底辺の人々に、釈迦がまじめくさった高尚な説法ばかりをしていたとは考えられない。もっと、高低や剛柔の説法大自在であったはずだ。

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