除霊で宿業を消すことはできない245

深見東州先生(=半田晴久氏)は、世界中に愛をワールドメイトのリーダーです。

このブログでは、ワールドメイトのリーダーである深見東州先生の「大除霊」を紹介しています。人間の本質とは何か、悪霊、除霊カルマ、水子供養、因縁などについて解説しています。

深見東州の「大除霊」(130)

 ところが、こればかりは除霊をしても解決できない。霊は取れてもカルマ=宿業は取れないのだ。いやまったく取れないというわけではないが、一回の除霊の効果はわずかであり、数回くり返して表面に出ている霊障は完全にきれいになることが多い。あとは、性格や性向の奥に深く内在している霊障(祖霊が多い)が残るのである。これを取るには、本人が変わり、時間をかけて、自分の中にいる昔ながらの悪い自分を、徳功、徳化、徳明によって自然に追い出すしかない。カルマをなくしていくとは、本来生まれたときに定められている天の命数を改めていくことでもある。寿命も、性格も、命運も、正しい天真と天理にかなう努力によって改善することができる。そして、これは今述べた沈殿、固定化霊障群を、自然に追い出していくプロセスと同じであると考えてよい。これらはよく関連し、連動し、相関しているからなのである。

 ところが、もし除霊を受けることで家と個人のカルマのすべてが許されたとしたらどうだろう。たとえば、五万、十万、百万などのお玉串で誠意を表すことによって、先祖が犯した罪、そして自分自身が前世から今世にわたって犯してきた罪がすべて許されるとしたら、「神様は誠に不平等な存在である」といわねばならないだろう。

 もし、お金ですべてが解決するなら、生きている間に勝手放題、やりたい放題やって、死ぬ間際にアルバイトでも雇って、「このお金で供養を頼んでくれ」といい残して死んだ方がいい、ということになる。

 だが、神様はそれほど不平等でも理不尽でもなく、また、甘いこともない。天地自然もまた同様である。宇宙の大法則である善因善果、悪因悪果の定めによって、万人が平等の立場に立てるようにされている。

 だから、自分が蒔いた種は、自分できっちり刈り取らねばならないことになっている。自分のカルマは、たとえ除霊を受けても、それだけでは根本的には解決されないのである。除霊は、カルマ脱却、因縁解脱、逆境はね返し、人格改善、悪運好転、幸運倍増の契機であり、大事なターニングポイントとなる神様の機であるととらえるべきだろう。それからの日々こそが大切なのである。

↓ブログランキングの応援
 1回クリックよろしくお願いします

にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
スポンサーサイト

tag : 深見東州 ワールドメイト 半田晴久 カルマ 除霊 祖霊

最も手っ取り早い死の苦しみ247

深見東州先生(=半田晴久氏)は、世界中に愛をワールドメイトのリーダーです。

このブログでは、ワールドメイトのリーダーである深見東州先生の「大除霊」を紹介しています。人間の本質とは何か、悪霊、除霊、カルマ、水子供養、因縁などについて解説しています。

深見東州の「大除霊」(132)

最も手っ取り早い死の苦しみ

 家族が次々と死んでしまう家がある。まるで死神にでもとりつかれたかのように、大黒柱ばかりか、生まれてくる子供も次々と死んでしまう家がある。

 読者の周りにもそうした家があると思うが、当事者にとっては耐えきれないほどの苦しみに違いない。最愛の夫との死別。目に入れても痛くないほどかわいい子供との死別、兄弟との死別……。愛する人との別れは、「愛別離苦」といって、仏教でも四苦八苦のひとつにかぞえられているほどで、最もつらい苦しみなのである。

 もし、死に瀕している家族がいたら、あなたはどう思うだろうか。「早く死んでしまった方がせいせいする」「財産が自分のものになるから嬉しい」、こう思うだろうか。中には、そんな人がいるかもしれないが、正常な感覚のもち主なら、ひたすら悲しみの涙を流すばかりであろう。

 「いくらお金がかかってもかまいません。どうか、最新の医学でお父さんの命を救ってください」

 「神様、今までの親不孝をお許しください。これからは一生懸命親孝行に励みますから、お父さんの命を助けてください」

 というのが人間らしい感覚であって、家族の死に直面して心を動かされないというのは、どこか異常というほかはない。

 それくらい、家族の死は大きな苦しみをもたらすものである。お金でも地位でも、名誉でも贖えないのが死なのだ。

 このことを逆に考えると、死は最も手っ取り早いの抹消方法なのである。お父さんが早死にしてしまうというのは、即、家が贖いをしているということであるし、子供の全部が死に絶えるというのは、がそれから先の子孫にまで継承されないための唯一の方法なのだ。

 家族が次々と死んでしまう家系は、それだけが深いということであり、天がその深い家伝のを贖わせるときには、積極的に死という非常手段を行使するしかないからなのだ。誤解しないでいただきたい。

↓ブログランキングの応援
 1回クリックよろしくお願いします

にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ

tag : 深見東州 ワールドメイト 半田晴久 守護霊 死神

霊は取れても宿業は取れない253

深見東州先生(=半田晴久氏)は、世界中に愛をワールドメイトのリーダーです。

このブログでは、ワールドメイトのリーダーである深見東州先生の「大除霊」を紹介しています。人間の本質とは何か、悪霊、除霊、カルマ、水子供養、因縁などについて解説しています。

深見東州の「大除霊」(138)

霊は取れても宿業は取れない

 すでに述べたように、業の抹消として一番の近道は死ぬことであった。大黒柱が若くして倒れる。子供たちが次々と死んでいく。これが、最も手っ取り早い神様から見た業の抹消法なのであり、それだけ、早死にの家系、家族が次々に死ぬ家系というのは、因縁が深いわけなのである。

 そして、その家伝の因縁に相応する御魂のもち主が、その家に生まれることになる。

 「早死にの家系がここにあります。あなたに合っているのはここのおうちですから……」

 という具合に、生まれ変わるわけだ。これを相応の理という。

 代々早死にする家系には、目に見えない宿業があるわけだが、それが表面に現れてくるときには、霊障と不運という形をとる。

 たとえば、先祖に殺されて子々孫々を恨んでいる霊があれば、そのたたりによって早死にするという具合だ。

 だから、こういった人に対して除霊を行うと、早死にの家系が改善されたり、病気が即座に改善したりすることもある。しかし、たとえ怨念霊が取れたとしても、あくまでも宿業が真の原因であるかぎり、霊障ではない別の形で、悪運は傾向として残存していくこととなる。

 つまり、除霊をすれば霊は取れるが、宿業は取れないのだ。むろん、わずかな額でも神様で捧げた玉串や、自覚と反省とによって捧げたの分だけは、必ず神様が、宿業を軽減するための功徳としてくださっていることは間違いない。だからこそ、除霊を契機として人生が好転していく人が多いのである。

 それでは、宿業や因縁にどのように立ち向かったらよいのだろうか。

↓ブログランキングの応援
 1回クリックよろしくお願いします

にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ

tag : 深見東州 ワールドメイト 半田晴久 神様 宿業 除霊

地獄の先祖霊はなかなか改心しない261

深見東州先生(=半田晴久氏)は、世界中に愛をワールドメイトのリーダーです。

このブログでは、ワールドメイトのリーダーである深見東州先生の「大除霊」を紹介しています。人間の本質とは何か、悪霊、除霊、カルマ、水子供養、因縁などについて解説しています。

深見東州の「大除霊」(146)

 しかし、どんなに私が大演説をしても、地獄先祖霊はなかなか改心しない。もっとも、すぐに改心できるようなら、もともと地獄なんぞに堕ちることはないはずだ。

 そこで、地獄先祖霊が子孫に憑依する理由を説明しよう。これは、先に、カルマの抹消プロセスと先祖霊の改心のプロセスが連動していて、ほとんど同じようになされていると述べたが、このカルマ抹消のプロセスを、霊界というフィルターから見るときに見えてくる、人間改心のドラマであると思っていただきたい。それでははじめよう。

 その理由のひとつとは、子孫が祖霊の苦しみとともに苦しむことを通じて、本人の前世の贖(あがな)いを苦によってするためである。もうひとつは、神様のご計画として、憑依された本人の御魂がその苦しみとともに魂に焼きつけた研鑽なり、労苦なり、悲しみなりを、後になって果たさねばならない今世の使命のための肥料となすためである。つまり、これらの御魂の焼き入れ焼き直しによって、重厚で立派な人間形成をすることができるからである。こうして、神様はその人を社会に大いに役立つ人にしようとしておられるわけである。いわば、これが天の試練だということができるだろう。そして三番目は、こうして子孫と先祖霊がともに苦しむことで、家代々の因縁を精算されようとされるためである。

 このように、神様とは常に一石三鳥を狙っておられるのである。ところで、神様がなさる一石三鳥の方向性がおわかりになったら、次は血と先祖というテーマについてお話ししよう。

 血と先祖って、私の先祖は代々A型が多い、というような意味ではない。実は、B型なのだ。これも冗談。本当のことをいえば、私たちの先祖代々の素質や霊は、すべてこの血の中に内包されているということなのだ。これは、恩師植松愛子先生が私におっしゃったことである。

↓ブログランキングの応援
 1回クリックよろしくお願いします

にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ

tag : 深見東州 ワールドメイト 半田晴久 守護霊 地獄 先祖霊

人それぞれに背負っている劫の絶対量が違う525

ワールドメイトは、深見東州先生(=半田晴久氏)が教祖の宗教法人です。

このブログでは、ワールドメイトのリーダーである深見東州先生の「大天運」を紹介しています。徳を積むことの意味、輪廻転生、前世の秘密、守護霊などについて解説しています。

深見東州の「大天運」(95)

第三章 前世の秘密と因縁からの脱却 

悪因縁にどう立ち向かうか

 私は、ここまで前世の問題を取り上げ、人間のいい面と明るい面とにスポットを当てて述べてきた。人生を最も有意義に生きるには、いかにすればよいのか。天運に乗って生きるには、どうすればよいのか。眠れる才能を開花させるには、どういう工夫が必要か。これらを中心に最善のあり方を語ってきた。

 だが、現実は、いい面や明るい面ばかりではない。悪い面、暗い面もあるのだ。

 たとえば、第一章で述べた無形の宝の問題。先に私は、無形の宝を積んでいけば、「化する働き」によって、無形の宝は、有形の宝となると書いたが、これはあくまでも一般論。場合によっては、どんなに無形の宝を積んでいっても、有形の宝としての結実を自覚できないこともあるのだ。

 なぜか。それは要するに、人それぞれに背負っている劫の絶対量が違うからである。前世、あるいは前々世で学問、芸術、信仰を修め、同時に無形の宝をたくさん積んでいる人は、今世ほんの少しだけ無形の宝を積めば、すぐに有形の宝となって返ってくる。

↓ブログランキングの応援
 1回クリックよろしくお願いします

にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ

tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久

自殺さえしなければ、人生に倒産はない526

ワールドメイトは、深見東州先生(=半田晴久氏)が教祖の宗教法人です。

このブログでは、ワールドメイトのリーダーである深見東州先生の「大天運」を紹介しています。徳を積むことの意味、輪廻転生、前世の秘密、守護霊などについて解説しています。

深見東州の「大天運」(96)

 これとは反対に、前世、前々世、前々々世で徳を積むどころか、悪徳の限りを尽くしていた人は、今世においてかなりの無形の宝を積んでも、財産や地位、名誉といった有形の宝となることはほとんどない。

 「少しずつ、最悪の状態がよくなっているなあ」

 という実感を得られるくらいだろう。なぜなら、徳というプラス劫というマイナスを相殺勘定すると、劫のマイナス面が超過剰気味であって、少々、徳のプラスを補充しても、幸福のバランスシートは黒字にならないからだ。たとえていうなら、累積赤字会社では、うれしいボーナスや楽しい株の配当をいただけないのと同じである。

 ヒイヒイいいながら、資金繰りで苦しむ毎日を過ごさねばならないだろうが、それは誰のせいでもない。自分が前世で犯した、放漫人生経営のツケが回ってきているだけなのだ。

 しかし、大丈夫。営々たる黒字徳積み化の努力をしているうちに、やがて膨大な累積赤字も解消されるのだ。どんなに苦しくても、自殺さえしなければ、人生に倒産はないのである。

 銀行だったら見離すかもしれないが、守護霊は絶対に見離さない。従業員だったら逃げ出すかもしれないが、背後霊団は最後にピンチのときを支えてくれるのだ。だから、逃げ出さないで、苦境にあえぐ「赤字自分会社」の再建に乗り出すべきなのである。

↓ブログランキングの応援
 1回クリックよろしくお願いします

にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ

tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久

不昧因果527

ワールドメイトは、深見東州先生(=半田晴久氏)が教祖の宗教法人です。

このブログでは、ワールドメイトのリーダーである深見東州先生の「大天運」を紹介しています。徳を積むことの意味、輪廻転生、前世の秘密、守護霊などについて解説しています。

深見東州の「大天運」(97)

「不昧因果」の奥義

 さて、禅宗の用語に「不昧因果」(ふまいいんが)という言葉がある。読み下すとこれは、「因果を昧まさず」ということになる。

 どのような意味かというと、悟りを開いた人間は、前世の因縁因果に心を曇らされたり、自分の心霊を迷わすことはない。だから、悟った人間はカルマや因果に関係なく、幸せな自分の境地を保って生きるのである、ということだ。

 これとは別に、この「不昧因果」という言葉は、もうひとつの意味がある。それは次のような内容である。

 善因善果、悪因悪果というが、これは前述したように、要するに前世で己がまいた種を己が刈り取るということ。これは天地自然が定めた法則である。つまり、神が定めた法則なのだ。であるならば、いくら信仰しているから、神様を信じているからといって、神ご自身が自ら定められた法則を変えて、罪を全部なくすなどということは絶対にない。ならば、悪因悪果の不幸な境遇、恵まれない境遇、苦しい境遇があったとしてもそれを自ら嘆くことなく、かえって甘んじて受ける。だが、そのことによって境地、心霊を曇らせることなく、明々として生き、好々として日々を送る、という意味である。

 こういった、大いなる悟り、徹底して天地の道に生きる境地を「不昧因果」というわけである。

↓ブログランキングの応援
 1回クリックよろしくお願いします

にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ

tag : 深見東州 ワールドメイト 半田晴久

清算するには、苦しむか、徳を積んでいくしかない540

ワールドメイトは、深見東州先生(=半田晴久氏)が教祖の宗教法人です。

このブログでは、ワールドメイトのリーダーである深見東州先生の「大天運」を紹介しています。徳を積むことの意味、輪廻転生、前世の秘密、守護霊などについて解説しています。

深見東州の「大天運」(110)

誤解しやすい阿弥陀信仰

 とにかく、真に罪を清算するには、自分自身が苦しむか、努力して徳を積んでいくより方法がないのである。誰かを信じたりお題目を唱えれば、その瞬間に因縁がすべて清算するということは絶対にあり得ないのだ。

 その意味で、「南無阿弥陀仏」の信仰も誤解を受けやすい信仰だといえる。この信仰は「南無阿弥陀仏」と唱えさえすれば、どんな悪人であろうと人非人であろうと、ひとり残らず浄土へ渡れると説く。曰く、

 「善人なおもて往生を遂ぐ。いわんや悪人をや」

 単純皮相にとらえたら、この考えが、神霊世界の法則から見て間違っていることは、もはや言を待たないであろう。事実、一向系、すなわち浄土信仰の歴史をたどれば、多くの人々が誤解して問題となっている。

 しかし、親鸞が真にいいたかったのは、そんな皮相な意味ではない、もっと深い洞察と慈悲に満ちた真を得ていたのである。

 親鸞と「南無阿弥陀仏」信仰を理解するには、『歎異抄』から入ったら誤解するであろう。あくまでも、親鸞の生命が宿る『教行信証』から入らねばならない。四十数年もの間、推敲に推敲を重ねた結果書き著されたこの本に、彼の真髄が眠っている。

 鎌倉時代、迫害の中に生きた過激な宗教家・親鸞が、下層民に対してまでも、すべてこれを救うというテーマで選ばざるを得なかった「南無阿弥陀仏」の法とは何か。紙幅の都合上、紹介できないのが残念であるが、真実のところは、読者諸氏のご研鑽にゆだねたい。

↓ブログランキングの応援
 1回クリックよろしくお願いします

にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ

tag : 深見東州 ワールドメイト 半田晴久

すべてを清算するのは、絶対に不可能なこと542

ワールドメイトは、深見東州先生(=半田晴久氏)が教祖の宗教法人です。

このブログでは、ワールドメイトのリーダーである深見東州先生の「大天運」を紹介しています。徳を積むことの意味、輪廻転生、前世の秘密、守護霊などについて解説しています。

深見東州の「大天運」(112)

 だが、ここでお断りしておきたいことがある。それは、除霊をしたからといって、すべての霊障が解消とは限らないということである。なぜ、こんなことをいうのかというと、除霊を受ければすべてが解決すると思い込んでいる人があまりにも多いからである。

 すでに述べたように、善因善果、悪因悪果の法則は天地自然の法則、神様の法則であり、それゆえにこそ、この法則はどんなことがあっても変えられないのである。だから、神様の愛、大愛といっても、大難を小難に、小難を無難にという具合に、因縁因果を縮小するのが精一杯。すべてを清算するというのは、絶対に不可能なことであり、不平等なことなのである。

 実は、その大難を小難に、小難を無難に、というもののひとつが、ほかならぬ救霊なのである。だから、除霊したからといっても、すべてよくなるということはないのだ。『神界からの神通力』でも書いておいたが、先祖霊の場合、地獄界にいるならば中有霊界の下段へ、中有霊界の下段にいるなら中段へといった具合に、依頼者の誠と改心の度合いに応じて霊層を数ランク、アップするのが精一杯なのである。

↓ブログランキングの応援
 1回クリックよろしくお願いします

にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ

tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久

家の運と本人の運勢と1094

ワールドメイトは、深見東州先生(=半田晴久氏)が教祖の宗教法人です。

このブログでは、ワールドメイトのリーダーである深見東州先生の「絶対運」を紹介しています。運の強弱について、自力と他力、運・不運の分かれ目、などが解説されています。

深見東州の「絶対運」(18)

 なるほど灰色のモヤの謎の一部が解けた。この若者が十七歳の時に家運が傾き、本人自身の運勢も下降するばかり、そのうえ結核にもなったというダメ押しもされている。

「キミが結核ね」

「ええ……、その上悪いことに母親が高血圧で倒れて入院したので、大学をやめました」

「ウム。で、いまどんな仕事をしているの」

「ハァ、これといってなく、新聞を見ながら、そのときそのときのアルバイトをしている、いわゆるフリーターでして……」

「たいへんだね。で、ご兄弟は……?」

「はあ、高校一年の妹だけです……」

 若者の顔に暗い影がさしている。うつむき加減にぼそぼそ語る。それもそうだ。この青年、私に隠していることがまだまだあるからである。

「で、将来は何をやりたいのかね」

(つづく)

↓ブログランキングの応援
 1回クリックよろしくお願いします

にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ

tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久

ワンクリックお願いします!
ブログランキング にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ 人気ブログランキングへ
最新記事
プロフィール

Author:美禰子
FC2ブログへようこそ!

最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
FC2カウンター
深見東州の著作
神界からの神通力
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード