神様の目に適うだけの人の道での苦労386

ワールドメイトは、深見東州先生(=半田晴久氏)が教祖の宗教団体です。

このブログでは、ワールドメイトのリーダーである深見東州先生の「神霊界」を紹介しています。中間役の神々、除霊の奥義、正しい霊能力などについて解説しています。

深見東州の「神霊界」(107)

 これらの人々は、修行らしい修行を全くしないで、霊能力や超能力を得たのである。ただ純粋で親孝行で、人の道において苦労していただけなのである。つまり、

 「神の社となるに足る人物だ。愛と誠をもって人々を救済してくれる人だなあ」

 という神様の目に適うだけの、人の道での苦労をしてきたのである。

 では、その人の道での苦労とは何か。それは、ひと言でいうなら捨てる修行である。我欲や人欲を捨てる修行である。霊能力を得たい、超能力を得たいなどという気持ちは一切もたず、人が良くなり世の中が良くなるためなら、自分の命を捨てても構わないという気持ちで日常生活を精いっぱい生きていたわけである。

 その気持ちに神様が感応して、神様のほうから訪ねてきてくれたわけである。

 たとえば先のジャンヌ・ダルクにしても、「フランスを救え!」という神託が降ったとき、

 「そうですか、わかりました。私にはこれだけの神通力があるので、仰せのとおりフランスを救いましょう」

 というのではなかった。

 「こんな私にそんな大きなことができるのでしょうか。でも、神様がおっしゃるのでしたら、この命を捨ててでも神様の命令に忠実に生きたいと思います」

 という純粋な気持ちで応えたのである。だからこそ、わずか十三歳の少女が、以後、艱難辛苦を越えてあれだけの大業をなし遂げることができたのである。

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tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久 フランス ジャンヌ・ダルク

無私無欲で387

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深見東州の「神霊界」(108)

 これがもし、

 「自分の実力でフランスを救ってやるのだ」

 という気持ちでやっていたとしたならば、とてもじゃないが、あれだけのことはできなかったに違いない。なぜなら、それは我力だからである。たとえどんなに驚異的な霊能力や超能力があったにせよ、我力は我力。所詮、タカが知れているのである。

 ジャンヌ・ダルクがあれだけの大きな仕事を成し得たのは、結局神がかるに充分なほど、無私無欲で捨て身の純粋さに徹したからにほかならない。

 中山みき、出口ナオにしても同様である。彼女らはみな一様に、自分のことよりも、家族のこと、社会のこと、国のことを優先して考えていたのである。その心に神様が感応して、病気治しなどの様々な神通力を与えたのである。

 これが神力である。神力とはいわば、神様に川上に引き上げていただき、その川上から川下へと下るなかで身につける神通力といえる。そして、神様に引き上げていただけるよう、常日ごろから自分を捨てる努力を続けることを、先天の修行という。

 ところで明治天皇の御製の中に

 「天地(あめつち)も動かすばかりの言の葉の誠の道をきわめてしがな」

 というのがある。まさに、この先天の修行の極意を物語っている歌であり、私の大好きな歌のひとつである。

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tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久 明治天皇 フランス

真実の言霊388

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深見東州の「神霊界」(109)

 「神様、どうぞこの子の病気を治してやってください」と祈る言葉は、中山みきや出口ナオと、読者の皆様が同じであったとする。

 かたや二人とも大奇跡を現し、読者の皆様は、いい病院があったことをパッと思い出した、というぐらいの差であろうか。それもない読者の方は論外である。

 同じ言葉でも、天地(あめつち)を動かす神力を出す人と、何の霊力も、人々に対する影響力もない人がいる。前者は、まさに真実の言霊となり、後者は単なる言の葉なのである。

-どこが違うのか。答えは、それを発する人の日々の生活の中で、の道をどの程度極めているか否かの相違である。

 ところで、前述の歌の中にある「てしがな」は、「そうありたいものだ」という願望を表す言葉であるが、明治陛下が、日常どういう御心で過ごされていたか、また、如何に素晴らしい境涯に立たれていたかが窺える、清々の言霊歌の一首であるといえる。

 我々も、是非これを見習って、先天の修行の範としたい。

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tag : 深見東州 ワールドメイト 半田晴久 先天

実りの少ない後天の修行389

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深見東州の「神霊界」(110)

苦労のわりに実りの少ない後天の修行

 これに対して、

 「どうにか霊能力を得たい、超能力を体得したい」

 と、難行苦行を実践していくのを後天の修行という。

 後天の修行とは、人間の持っている後天的能力を磨きあげることで、神様に近づこうというものである。いわば、先天の修行が川上から川下へ下っていくのに対し、川下
から川上へ自力で上っていくようなものといえよう。

 過去、後天の修行を行った人は、数えきれないほど多い。

 たとえば、滝に打たれたり断食をする人は今日でも多いが、その人たちは皆、後天の修行を行っている人である。またヨガや神道の禊なども後天の修行といえる。

 この人たちは、水の汚れた川下から少しずつ上っていき、山の頂上の、清らかで純粋な水がコンコンと湧き出る泉に辿り着こうと、必死の努力を傾けているのである。

 だがしかし、この修行によっては、清らかな泉のような神様にはなかなか出会えないといわざるを得ない。なぜなら、山の頂上に至るまでの間には、中間役の神や邪気邪霊が雲霞の如く待ち構えているからである。よほど心が澄みきっていれば別だが、

 「とにかく霊能力がほしい。超能力を得たい」

 という気持ちで行に励んでいると、その気持ちに感応する邪気邪霊がとりついてしまうのである。それゆえ、この後天の修行は苦労の割りには実りが少なく、危険ばかりが多いといえるわけである。

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tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久 霊能力 超能力

無為にして為さざるはなし393

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深見東州の「神霊界」(114)

 これに対して、無為自然を説く老子は自らを「道する者」として「道する者は日に日に損す」といっているのであるが、この言葉の意味は、道を志す者は日に日に失っていくということである。

 損をするといっても、お金を取られるというような意味ではない。地位を捨て名誉を捨て、そして家族も兄弟もわが命まで捨てて、人為的なことは一切かなぐり捨てるということである。

 「俺はああしたい」

 「俺は何々になりたい」

 といった我利我欲を捨てていくので、「道する者は日に日に損す」というわけである。

 では、日に日に損して、最後は何もなくなってしまうのかというと、そうではない。老子は「道する者は日に日に損す」のあとに続けて、こういっているのである。

 「損して損して無為と成す。無為にして為さざるはなし」

 と。無為とは、何もしないということではない。人為的なことを一切捨て去るということである。

 つまり、人為的なものを全部なくしてしまえば、もともとあった潜在能力、もともとあった潜在知識、あるいは天地自然に内在する力が自然と現れ、逆に、どんなことでもできるようになるというのである。

 この老子の立場は、いわば先天の修行と同じである。そして、儒教は後天の修行と同じ立場にあるとよう。

 しかし、もっと厳密にいえば、先の中にも『先の先』と『先の後』があり、後の中にも『先の先』と『先の後』があって、最も大切なことは、先、後をのり越えた玄々妙々たる大道に境涯の真を置くことである。

 そうすれば、先後合一してあり、先のときは先、後のときは後というふうに、至妙の活自在性を会得することができる。

 しかし、難しくなってしまうので詳細は避ける。

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tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久 老子 孔子 儒家

善と思ったことを信じて行う394

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深見東州の「神霊界」(115)

 ところで、老子の考えは、前にも少しお話したように、あまりにも捨てることを強調しているため、これを実践すると隠遁者になってしまう危険性はあるものの、ある程度、神霊世界の事実を説いているように思える。とにかく、我をなくせ、人為的なものを捨てよ、そうすれば本来あるべきものが現れてくるというのが、老子の教えなのである

 これくらい、神様というのは本当の愛と真心に徹するわけである。少しでも我が入ったり、人為的なものが混じっていれば、それは自分なりの愛、自分なりの真心となってしまい、結局、普遍的な神様の使者とはなれないのである。しかし、一般人はこんなに深刻に考える必要はない。善と思ったことを信じて行い、常に神様という心の尺度をもって、見直し、聞き直し、誤りあらばその都度お詫びしつつ励めばいいのである。これが信仰の基本姿勢であるからだ。だが、神人合一の道を極めようとする人には、神様も厳しい注文をつける。

 すなわち、一身上のことは全て投げ捨てて、日本の国のためにとか世界のためにという気持ちを持ち続けて神と一体となり、自分ではない自分と神が合体して活動するという玄境を尊ばれるわけである。これが先天の修行というわけである。

 先にあげた中山みき出口ナオジャンヌ・ダルクは皆、家族を捨て、夫を捨て、自分の願いや自分の命までも捨てていたから、神様のほうから訪ねてこられて終生一体であった。

 先天の修行には、後天の修行のような長時間の訓練は要らない。捨てればいいのである、自分の欲を。

 名誉欲、金銭欲など一切を捨てきれば、富士山の頂上の神様が、神様のほうからいらっしゃるのである。

 「ああ、いろいろやっているけど、あなたはなかなかよく捨てているね。先天に生きているね、生きようとしているね」

 という具合に来てくださるわけである。

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tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久 老子 中山みき 出口ナオ ジャンヌ・ダルク

素直で素朴396

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深見東州の「神霊界」(117)

素直で素朴は神人合一の一厘

 ところで、あまりにも捨てろ捨てろ、地位も財産も家族も捨てろというと、

 「現実に家庭を持っている自分には、そんなことはできっこない」

 とお思いになる方があると思う。あるいは、

 「よし、神様と一体となれるなら、今すぐにでも全てを捨てて出家しよう」

 などと考える方もいらっしゃるかもしれない。

 しかし、ここではそんなに極端に考えないでいただきたい。あくまで境地、心境をいうのであって、日常生活の中で、少しずつ我利我欲を捨てていくように努力すればいいのである。曰く「心外悟道なし」と。

 さらに角度を変えていうなら、捨てるということは素朴で素直に生きることといえる。素朴で素直。これは神道的な考え方であるが、生活実践の場においては、これが最も望ましい。そして最も先天の修行に近い生活態度といえる。

 素朴で素直は神人合一の一厘である。これなくしては、誠の人も、天に通ずる道も何もない。神に通じる全ての道は、この素朴で素直な生活態度から始まるのである。

 これは、恩師植松愛子先生の教えでもある。

 しかし、読者の中には、

 「そんな生活態度は、皇室や深窓の令嬢なら別だが、一般人にはとてもできない。それでは世間の人からだまされっ放しではないか」

 と思う人もいるであろう。しかし、早まってはいけない。この素朴で素直とは、あくまで神様に対する姿勢をいうのであって、悪に対しても素直であれという意味ではない。心観の相に神様に対する敬にして誠たる心境といえる「素」の状態を説明しているのである。浅く受け取らないでいただきたい。

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tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久

素直とは397

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深見東州の「神霊界」(118)

 少し余談になるのだが、素直という字は、神道の霊学では「主に糸が直に垂れている」と解釈される。この場合の主とは、宇宙創造の主ともいえるし、自らに内在する主極ともいえる。その主から糸がスーッと垂れて直。素直とは、このように解釈されるのである。

 だから、素直な人間には、守護神守護霊などの高級神霊が、向こうから訪ねてくださるというわけである。つまり、正神界の神霊に感応するには、素直な心を持っているのが一番いいというのである。

 これでおわかりいただけたと思う。先天の修行といっても、日常生活を放てきして神に生きたり、出家をしたり、山にこもることではないのである。むしろ、日常生活の中で、いかにして我利我欲を捨てて、ありのままの魂を顕現させるか、これが大切なのである。そして、無私無欲に徹し、素朴(純粋でういういしい)で素直に生きる。これが神人合一への最も近道といえるのである。

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tag : 深見東州 ワールドメイト 半田晴久 守護神 守護霊

事上錬磨399

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深見東州の「神霊界」(120)

 「人欲を捨てて聖人に至れば『良知』が自ずから現れる。この『良知』は普通の知ではない。聖人のみが持つ知であり、全て理にかなう方向を示す知である。それゆえ、『良知』に従って生きるならば、いわゆる達人、聖人の生き方ができる」

 さて、王陽明の下には弟子たちがたくさんいたが、彼らは早速、師の教えを実践しようとした。すなわち、座禅を組んだり、瞑想にふけったりしたのである。それを見た王陽明は何といったであろうか。彼は、

 「何をやっているのか!そんなことはいとも簡単なことである。本当の修行とは、そんなことをするのではない!」

 と弟子たちを一喝したのであった。そして、続けてこう語った。

 「座禅なんかしたって、それだけで聖人にはなれっこない。瞑想したくらいで聖人になれるなら、これほどやさしいことはない。本当の修行とは日常生活の中で行うものなのだ」

 つまり、役人は役人という仕事の上において人欲をなくし、教育者は教育者という仕事の上において、本来の良知を出す修行をしなければならないのだ。このように、日々の生活や仕事の中で人欲をなくし、聖人になる修行をしなければならないと、王陽明は説いたのである。そして彼は、こうした日常生活の中での修行を「事上錬磨」と呼び、これこそが最も大切であると主張したのである。

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tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久 王陽明

心中の賊を征するは難し400

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深見東州の「神霊界」(121)

 ここが、老子の思想と根本的に異なるところである。すでにお話したように、老子も人欲を捨てて神人、聖人に至る道を説いた。だが、老子はあまりにも捨てることに主眼を置いたためか、日常生活を放てきしてまで人欲を捨てる傾向を招いたのであった。

 これに対して、王陽明は真っ向から反対する。彼は、山の中での修行は本当ではないという。深山幽谷で瞑想にふけっても、あるいは滝に打たれ断食しても、日常生活に戻ったとたんに欲望にかられたり、みだらな妄想にかられたとしたら、何の意味もないではないか。それより、日常生活の中で欲望を捨てるほうが、はるかに困難ではないか-このように、王陽明は説いたのである。曰く、

 「山中の賊を征するは易く、心中の賊を征するは難し」

 と-。

 この言葉を残した彼は、日常どれほどの苦労と修道における努力をなしていたことか。察してあまりあるのである。ここでお断りしておくが、厳密に彼の主張を述べれば、決して正座や座禅は否定してはいない。これらを静の修行とし、今、私が述べた点を動の修行として、静動一致を説いたのである。しかし、当時は静と知の修行がほとんどであり、動の修行は彼によって初めて喧伝されたわけである。

 王陽明のこの考え方は、神霊世界の真相に照らし合わせてみても、かなり本質的な部分を突いているといえよう。

 そのためもあってか、彼の思想は、わが国の幕末の志士、吉田松陰久坂玄瑞髙杉晋作らの面々に多大な影響を与え、結果的に、幕藩体制を根底から揺るがすことになったのである。

 つまり、陽明学を学んだ吉田松陰らは、それぞれの仕事あるいは使命において、無私無欲に徹し、最終的には命を捨ててでも、今現在なされなければならないこと、すなわち尊皇攘夷運動と維新の貫徹をなし通したのである。

 そうした事情があるためわが国では、陽明学というと、とかく革命思想のように考えられている面もあるが、そんな浅薄なものではく、もっと深遠な内容を説いているのである。


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