「一念三千」の教え、一念は善悪正邪の分水嶺549

ワールドメイトは、深見東州先生(=半田晴久氏)が教祖の宗教法人です。

このブログでは、ワールドメイトのリーダーである深見東州先生の「大天運」を紹介しています。徳を積むことの意味、輪廻転生、前世の秘密、守護霊などについて解説しています。

深見東州の「大天運」(119)

 このあたりをとらえて、天台智顗も鋭く指摘している。すなわち、「一念三千」の教えがこれである。人間の一念によって三千大世界に感応でき、この一念が善なるものであれば神人合一の道が一歩進み、仏様や聖人にもなれる。逆に、この一念が「我よし」の我欲と怠慢を中心にしたものであれば、地獄界に堕ちる。

 これが「一念三千」の教えだが、まさしくそのとおり。一念は善悪正邪の分水嶺。この一念が、まさに勝負なのだ。

 念とは、今の心だ。今の心から今の口と心と行いが出てきて、全人生が決まってしまうのである。だから、一念から始めて今をよく生きれば、過去の失敗も未来の善の種となる。だから只今只今が勝負というわけである。

 神道の基本思想である「中今」の精神は、ここでこそ、有意義なる人生の糧となるのだ。

 苦しみ、悲しみを前向きに明るくとらえ、一念一念を至誠で貫き、積極的に無形の宝、目に見えざる徳を積む。こうすることによって霊層がアップし、また一歩神人合一の道が前進する。生まれ変わり死に変わりしながら、ますます御魂が天上界へと向上していくのだ。これこそが人生の本義なのである。

 そして、そのために最も合理的で有効であり、因果律を乗り越えて最高の人生を全うする秘訣が、只今只今に生きるという惟神の道の原点思想なのであった。

 だいぶ要約が長くなってしまったが、これで人生の意義が明確になったことと思う。

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こだわりをなくし無心になる1113

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深見東州の「絶対運」(37)

 美しい人を見れば美しいと心を動かされ、好きなものを見たらついついそれに引きつけられ、面白そうなことを聞けばそれに耳を傾けてしまう。美味しいもの、快いものなど、われわれの感覚に訴えてくるものはいくらでもある。心はつねにゆさぶられ、刺激され、欲望や焦燥のために平安なひとときを保つことができない。いたずらに心をわずらわし、考えすぎて解決の糸口のない「悩みの蟻地獄」に引きずり込まれていく。

 ああでもない、こうでもないと考えあぐねているうちに、チャンスを見逃したり、逆に次の機会にあせってしまい、大ヤケドを負うこともある。その失敗がさらに悩みを深刻にし、人間を臆病にしていく。

 こういった状況に陥ると、ここ一番という時に適切な行動をとるための状況判断がまったくできなくなってしまう。進むべきは進み、退くべきときは退く。沈黙すべきは沈黙し、打って出るときは敢然と打って出る、という臨機応変に対応するしなやかなバネも知恵も行動力も失ってしまうのである。

 それを避けるため、いや、もっと積極的にそうした知恵とそれに裏打ちされた行動力を身につけようとするのが、禅における修業なのだ。

 これまでふれたように、悩みとか落ち込んだ心の状態というのは、ひとつのことにこだわっているからである。そのこだわりをなくし、無心になるテクニックが禅なのだ。

(つづく)

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雑念は消えない、それよりも悟ることが大切1114

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深見東州の「絶対運」(38)

 とはいっても、人間、自然に湧いてくる念を消し去って無心になることは、そう簡単にできるものではない。念を消そう、消そうとしても、そう思うこと自体がさらに大きなひとつの念であるために、いつまでたっても無心になることは不可能なのだ。

 禅では、「念は出るにまかせてそれにこだわらず、ひとつの真言に軽く注意を向けよ」と指導している。こういった状況を維持しているうちにその真言すらも忘れてしまって、いつしか無心(空)の状態になっているというのである。

 さきの、「念の出ずることを恐れず……」という言葉も同じ状態を指摘しているのだ。

 現実に坐禅を組んでいただきたい。足は結跏趺坐でも半結跏趺坐でもいい。両手で生卵を持つように指をそえ、臍下丹田に力を入れ、目を半眼に開く。このとき無理に無心になろうとしても、念は次から次に出てくる。だから、ほっておいてよろしい。出て来る念の一つひとつを気にしていては、いつまでたっても無心にはなれないし、その結果悟りに到達することはできない。いや、それよりも悟ることが目指すところであって、念そのものを失くすことが目的ではないのだ。

(つづく)

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