至善とは何か?633

ワールドメイトは、深見東州先生(=半田晴久氏)が教祖の宗教法人です。

このブログでは、ワールドメイトのリーダーである深見東州先生の「大創運」を紹介しています。徳について、才能、守護霊、カルマなどについて、解説しています。

深見東州の「大創運」(49)

 現在のコンピュータの発達ぶりはすさまじく、善悪の判断のみならず、遠からぬうちにコンピュータ自体が意志を持つ時代が来るといわれる。つまり限りなく人間に近づき、また多くの面で人間を越えるというわけだが、それであればこそ、人々は至善を追求し続けなければならない。

 誤った考えのもとに、コンピュータに指示を与えれば、コンピュータは、限りなく悪の世界を作り出していくことになりかねないからだ。

 とはいえ、では至善とは、具体的に何かといわれて答えられる人は少ない。
「至善の状態は想定できても、至善そのものが判然としなければ、追求しようがないではないか」ということになる。

 そこで、思い返していただきたいのは、人間の持つ直観力であり、ふとした思いである。

 あらゆる学問に精通しても、豊富な知識を身につけようとも、それ自体は人間にとって大した意味を持たない。

 学問をする、あるいは修業をいるということは、過程であって目的ではないのだ。目的は、直観力を養い、直観にもとづいた「ふとした思い」を湧かせることである。心眼を養い、聡明にしてよく物事のつぼ所をおさえた人になればよいのである。そうして、はじめて人や社会や物が生かされ、善となるのである。

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教育が邪魔をする634

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深見東州の「大創運」(50)

「教育が邪魔をする」という言葉がある。あまりに多くの知識を雑然とつめこんだ結果「あちらを立てればこちらが立たず」という混乱に陥り、何が正しいのか判断力を失ってしまう状態も、教養が邪魔をした結果である。

 これは電器メーカーの人に聞いた話だが「最近の技術者は、どこか、おかしいんですよね。テレビの小型化競争が起きた時、必死になって、開発を進め、豆粒みたいなテレビを完成し、『ライバルをやつつけたぞ』と有頂天になっている。『じゃ、このテレビ、こんなに小さくてどうやって見るの』と聞いたら、みるみる蒼ざめてシュンとしてしまいましたよ」

 つまり、何のためにテレビを作るのかという基本的なテーマをすっかり忘れてしまったのである。

 もし、直観力を養い、ふとした思いを湧かせることのできる人物なら、テレビ小型化に血道をあげる愚かしさに気づくはずである。

 とすれば、おのずから至善という言葉の意味もわかってくるはずである。

 本末転倒することなく、枝葉末節にとらわれず、絶えず物事の本質と中心を見て、神の真意に直参する。これ即ち人類全ての幸せを願い、その状況を創り出すことが「至善」なのである。それを目的に、私たちは自己の魂を手動制御していかなければならないのだ。

 制御とは、もうおわかりであろう。己を正して、よく柔によく剛に修業することである。

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時に好奇心が破滅を招く636

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深見東州の「大創運」(52)

 ところが、人間は形にならない物に対しても、激しい好奇心を抱くのだ。

 たとえば、頭の中に突如湧きあがったイメージに対して「なぜ」「どうして」という疑問を抱き、なおかつ、疑問を解決しようと懊悩する。そのエネルギーが文明の源なのである。

 ところが、時に、この好奇心が破滅を招くことがある。知りたいという強い思いに、生物としての生存本能を忘れてしまうことだってないとはいえない。こうなると、好奇心は悪魔のささやきとなるが、悪魔のささやきとするか、神の啓示とするかは、その人次第なのだ。

 好奇心を、みずからのエゴ、我の欲望のために湧きたたせてしまう人は、悪魔のささやきに乗せられて破滅に向かう。

 我の欲望といったが、我とは、そもそも我の執着心と、我の見識とがある。

 我の執着心=我執は、なにはさておいても自分が欲しいと思う心である。人はどうあれ、自分さえ良ければ万々歳と思うことである。

 我見=我の見識とは、自分の考え方が絶対に正しいと思うことから派生する思想である。

 自分だけが信じて、他の人の共感を呼ばぬ哲学といっていい。もっと簡単にいえば、思い込みと固定観念だけである。では、なぜ我見が生ずるのかといえば、それは学問と教養がないからである。

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