自他通力…真心で相手の気持ちを読み取る007

深見東州先生(=半田晴久氏)は、世界中に愛をワールドメイトのリーダーです。

神界からの神通力(7)

 自他通力(他心通力)とは、相手の気持ちや境地がわかる能力のことだ。

 わかるといっても、正神界の自他通力はしょっちゅう人の気持ちがわかるというものではない。必要な時にパッとわかって、パッと心が読めるというものである。やたら日常生活で人の気持ちが全部読めたら、うるさくてしょうがない。必要なときに相手の気持ちがわかるというだけで十分なのである。

 ところで、邪神界、魔物の自他通力というのは、しょっちゅう、わかり過ぎるくらいわかるというものである。実は、これはタヌキが憑いてやっているのだ。

 タヌキは、相手の気持ちを読むのがうまい動物だ。たとえば、大阪の商売人などの中に、お腹がデップリして、「あなたは今、こういうふうに困っているだろう。わかるよ、アッハッハ!」というようなタイプがそれである。

 タヌキの特色は、よく眠る、パクパクよく食べる、ペラペラよく喋る、言っていることが支離滅裂で堂々巡りが多い、いばりたがる、偏食が多いなどである。これも動物霊編で詳しく後述する。一般にその神通力は、近い未来の予知能力や、失せ物の発見能力、腹で見抜く能力などである。だから、人の気持ちがよくわかるのである。天眼はキツネほどではない。

 それに比べて、正神界の自他通力を持つ人は済みきった目をし、水晶のような気持ちと真心があり、無欲なので、相手の気持ちが全部写るのである。

 こういう、済みきった心の持ち主になることが自他通力の基礎なのだ。

 これが、強い人欲から発するとタヌキの自他通力になってしまう。

「俺は他心通ができるのだ」と威張る霊能者がいるが驚くことはない。そういう人が死ぬとどういうことになるかといえば、畜生道や、行者霊界、魔界に落ちて、人霊ダヌキというものになる。これも、後で詳説しよう。

 キツネの天眼通力を信奉してどこまでも神様だと信じて死んだ人は、人霊ギツネになるのである。そういう人は、生前、霊能力という能力に自分の気持ちと魂を売ってしまっているのである。

 能力は得られるけれども、本当の人の道を成就できていないので、死んだら絶対に正常な霊界には行けない。至誠と善徳以外は、いくら霊界に通じ霊能があっても正道をまっとうしてすばらしき霊界に行けることとはならないのである。

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運命通力-こわい情勢判断の誤り008

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神界からの神通力(8)

 昔、中国のある王様が、戦の勝ち目について霊能者に尋ねた。その霊能者は「天眼通力でみれば、閣下の兵が敵兵を、水際に追い詰めている姿が見えます。これは勝ち戦ですから、どんどん兵を進めなさい」と進言した。

 王様は、勇気を得て戦に臨み、その予言どおり敵兵を追いつめた。王様は、「まさに予言がピッタリあたったなァ、これは勝利だ」と感心し、喜んだ。

 そこで欲張って、残兵を一人も逃がすなと命令し、どんどん川べりへ追いつめて行ったら、しばらくして敵の遊軍が退去して攻め寄せ、とうとう王様の軍隊は全滅してしまった。

 この物語は一体どういうことを意味しているのであろうか。その霊能者は、敵兵を追いつめたということを霊眼で見た。つまり未来予知をしたのだが、それだけでは、勝ち戦になるかどうかという最も大切な勝敗決定の判断にはならない、ということだ。(これが運命通力なのだが)もっと客観情勢を冷静に判断したならわかったはずである。

 兵法の観点からいえば、緒戦で有利に闘っていても、ひょっとして敵に遊軍が隠れているかもしれない、というときは残兵をあまり深追いしてはならない。危険なことはするな、というのが常識だ。ところが、この王様は予言で勝ち戦だと言われていたので油断し、増長してしまった。どこまでも敵兵を追いかけさせ、全滅させようとしたため、冷静な判断ができずに敵の罠にはまってしまったのである。

 天眼で見たものを、次にどう判断するかが大切だということを教えているのが、この話なのである。

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tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久 霊能者 通力 予言

運命通力-こわい情勢判断の誤り -その2-009

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神界からの神通力(9)


 このように、前もって見たものを判断し、処理しても(それが最終的には、漏尽通力につながっていくべきものだが)、人の幸せということにつなげて考えてみるところまでいかない能力を半可通力(はんかつうりき)という。

 ある程度霊眼で見え、運命が予測できても、それをどのようにアドバイスして、正しい道を教えていくのか。正智に基づく的確な判断力が、いかに大切であるかということもこのお話しは物語っている。

 このように、いくら神通力があっても、最終的には人の道、情勢判断などを総合して、霊能力を冷静にみていく正しい眼が必要なのである。

 王様の戦の例でも、霊能者としてはあまり「勝ち戦だから大丈夫だ」とは言わないで、「勝ち戦に見えますけれども、深追いは禁物ですよ」と謙虚に申し上げておけばよかった。

 あまり太鼓判を押したので、つい調子に乗り過ぎて足下をすくわれたということだ。

 こういう点が、天眼通力・運命通力をあわせて非常に危険なところである。

 手相・人相・姓名判断・四柱推命など、いろいろ運命を予測する方法はあるが、たとえば予知能力を働かせてこの人はこういう運命だなと、わかったとしても、悪い運命の方向に行かないように、どうしたら運命が良くなるのかを漏尽通力を働かせ、前向きに生きていける助言をしていくべきだ。災いの道を避けて、幸せの道に行けるような方法を説く努力をなすべきである。

 「運命がこうこう、このように出た」ということをそのまま正直に言うか、それとも言うべき時期、また相手の性格を考えて言い方を変えるか。うまく状況判断をしていくことが必要とされる。

 運命が予測できたとき、人によって言ったほうが良い場合と、言わないほうが良い場合とがある。

 それをどう判断するか。その判断の基準は相手への真心、思いやり以外にはない。

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運命通力-こわい情勢判断の誤り -その3-010

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神界からの神通力(10)

 そのとおり話して、ショックを受けるような人だったら、「運命はこういうように出ている、大したことはないから気にしなくても大丈夫ですよ」などと、逆に励ましてあげることが神様の道にかなうものであろう。

 たとえば、易学とか気学等の場合、運命判断をする立場からいえば、人の運命をズバリ当てるのがよいのだろうが、的中率だけを誇るのは、本当の占いの道ではない。また気学・易学等をやる人は、なんでもそういう観点から判断していく思考次元の偏りがある。

 それで、そういう想念が凝結してできた易占霊界という世界に陥るのである。

 気学等をみる場合、自分が幸せになるため、人が幸せになるためにはどうしたらよいか、という観点から咀嚼し、情勢判断しなければ、運命そのものにとらわれてしまう。

 だから、易なら、易そのものにとらわれないことだ。易にとらわれないということは、易を無視することでも、易を盲信することでもない。必要なものは使うけれども、マイナスのものにはあまり固執しないという態度だ。これが運命学に対する私の態度でもある。

 運命通力の大切なところは、相手の性格を考えて、その人の運命について話してあげるというようにしなければならないことである。

 人の悩み苦しみを解決し、幸せにつなげてあげる運命通力でなかったら、魔の世界に入ってしまう。

 相手の幸せを第一とする考え方、真心の一点が、正神界の運命通力と邪神界の運命通力の分かれ道だからだ。このことをよく銘記して、占いをしたり、受けたりということを真に意義あるものにしてほしいと願う次第である。

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宿命通力-宿命を教えて努力を悟らせる(1)011

深見東州先生(=半田晴久氏)は、世界中に愛をワールドメイトのリーダーです。

神界からの神通力(11)

 次に、宿命通力である。この通力の代表的なものはお釈迦さまだ。

 法華経などでは、「あなたは前世、こういう名前の人であり、その時に出会いがあって今、私と再び会ってこの法を聞いているのだよ」というようなことを言っておられる。また、「お前は、来世○○という者に生まれ変わって、この教えを人々に説いていくであろう」「末法の時代には、こういうふうに生まれ変わるであろう」というように、前世、今世、来世のことまで予言している。

 しかし、単に宿命だけを言い切ることでいいかというと、そうではない。法の道を説きながらも、その人への慈愛の心を持って、「-だから、しっかりがんばりなさいよ」と本人に悟りを得させて、来世への希望を持たせて話してあげることだ。

 四柱推命などでは、「宿命は、こうこうだよ」と運命・宿命がわかるけれども、本人にとっては、自分がこういう生まれ方をしてきたという宿命だけを聞いて、それがどうなるのかということだ。そういう生まれ方をしてきたけれども、これからどうなるのか、何故そういう星のもとに生まれさせられたのか、という根本の理由も教えてもらわなければ、むしろ宿命を聞かないほうがよかったということもある。

 宿命通力も、あくまで漏尽通力に帰結して、はじめて意義があるのである。宿命を知ることによって、前向きに人生を歩んでいくきっかけにし、そういう宿命ではあっても、自分の努力で陰徳(人に知られない善行)を積むことによって、前世の因縁、災いが消され、幸せの方向へと進んでいくことができるということを説かねばならない。

 お釈迦さまの本意は、大慈大悲の心で宿命を説くことによって、宿命を知った当人が、ますます、生命ある限り進歩向上の方向へと向かって努力するべく、善導することにある。

 四柱推命の場合でも、「前世、こういう因縁の人は、こういう努力をしていくと、こういうふうに生まれ変わりますよ」と具体的に教えてあげられる人ならば、占いの達人の域に達するのだが、現実のところは、占いが当たるとか、当たらないとかにこだわる人が多いのが実情である。天の道から見ても、その人の将来は絶対に一〇〇パーセント決まっているということはない。たとえ九〇パーセント決まっていたとしても、人間の努力や陰徳を積む布施とか神徳を授かる信仰実践によって、宿命の命式というのは、変えることができるのである。

 印鑑占い、姓名判断にしても、ある程度は当たっている。しかしそれが本質ではない。

 本質の神霊界、神様の道から見ると、それらもひとつの方向性であって、ある真実は告げているが、絶対的な神様の御心、尺度というわけではない。ところが、神霊家は神霊万能主義に陥る傾向がある。考えてみれば、天の法則や星の運行も神の一部である。神霊だけを神とするのは独善であり、心と方法さえよければ易占いもまた善なのである。そして易占いは、絶対視することなく、参考にするというくらいの姿勢が大切だ。

 このように、運命学・宿命学というものは、絶対者の神の意図を相対的にうかがい知って、進歩向上の糧とすべきものが本来の姿であるといえよう。

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宿命通力-宿命を教えて努力を悟らせる(2)012

深見東州先生(=半田晴久氏)は、世界中に愛をワールドメイトのリーダーです。

神界からの神通力(12)

 最後は漏尽通力である。

 漏尽とは、漏れなく尽くす、という意味である。漏尽通力は、人の問題点、苦しみを漏れなく尽くして解決し、幸せに導く能力をいうのである。

 ひとつの例をあげてみよう。

 お金で苦労している人がいるとする。その人を天眼通力で見ると、どうなっているか
というと、苦しんでいる様子が見えるのである。天耳通力で聞くと、その人が苦しんでいる状態を説明する天の声が聞こえる。自他通力では、苦しいという声が瞬間的にパッと写ったり瞬間的にその人の気持ちがわかるのである。

 宿命通力・運命通力では、「こういう星の下に生まれているのは、前世にこういうことがあったからです。苦しいでしょう」と言ったりする。苦しんでいる人に対して、それぞれの通力である程度の状態はわかる。

 しかし漏尽通力の場合は、苦しんでいるという事実を当てるというだけではなく、具体的にそれらの苦しみを解決することができるのである。勇気を持って乗り越える。あるいは、慰めや叡智をもって乗り越えるべく、具体的な救済力を発揮して苦しみと煩悩を解決することができるのである。

 漏尽通力とは、こういう能力のことをいう。

 ここが他の通力と違うところである。

 若い時に辛酸をなめ、人の道で艱難辛苦を通過してきた人は、同じ苦しみのある人に対して、その気持ちを誰よりもよく理解することができる。

 本当にその人の苦しみが、ビンビン響いてわかる。その人の痛みがわかる。その人の心の痛みを我が痛みのごとく感じるというわけである。

 こういう、人の道で苦労して辛酸をなめた人でなかったら、本当にこの世の人たちを幸せに導くことはできない。どの宗派でも、宗祖は天から人生百般における艱難辛苦を強いられているのはそのためである。皆、漏尽通力の訓練なのである。

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宿命通力-宿命を教えて努力を悟らせる(3)013

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神界からの神通力(13)

 天眼が見えなくても、天耳が聞けなくとも、運命・宿命がわからなくても、同じ苦しみ、苦労を通して心の痛みを同じくすることができる人は、中途半端な霊能力を持つ人よりも、よほど素晴らしい。

 例えば、下から積み上げてきた苦労人の社長は、下の社員の苦しみ、悩みがよくわかる。

 苦労人の豊臣秀吉もそうだった。秀吉は若い頃、苦労を積み重ねて人情の機微がよくわかるようになったのである。それで戦をするときも征服した人の気持ち、敗軍の将の気持ちを汲むことができたので、諜報説得活動が成功し、相手を戦う前に屈服させることができたといわれている。つまり、戦わずして勝つという戦の神髄を行うことができたのである。

 そのため無益な殺生はなるべくしなかったという。これが秀吉の素晴らしかったところだ。秀吉のそうした面に関していえば、漏尽通力の達人だったともいえる。

 このように、世の中の辛酸をなめ、かつそれを正しく善なるものへと咀嚼していく人は、たとえ天眼が見えなくても、天耳が聞こえなくとも、人の悩みがわかり漏尽通力を発揮することができるのである。

 神様の目的は、人を幸せにすることである。したがって、この漏尽通力によってはじめて神様の意図される働きができるのだ。これが一番高級な神通力であるというのはそういう訳だからである。

 最後に、天眼が見える、天耳が聞こえるとついその霊能力を誇りたくなるものであるが、よく考えてみると、いったいそういう能力は、何のために与えられたものだろうか。それができたからといって何がよいのだろうか。人を幸せに導くという行いができてはじめて、霊能力も神通力も意味を持ってくるものなのである。

 「人を幸せにする」-これが神様の御心であることを知れば、あらゆる通力とはそのための方便であることがわかる。最近騒がれている神通力や霊能力、また霊界現象などにいたずらに心を奪われることなく、正しい、本当の神の心や人としての道に心を向けて、幸せになる道をぜひ、極めてほしいと思うのである。 

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憑依の実態…苦しみ続く家系の背後に群れなす大蛇014

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神界からの神通力(14)

 私は今日まで、数えきれない人々を除霊してきた。水子霊の憑いた人、動物霊の憑いた人、生霊の憑いた人、あるいは動物霊と生霊が合体して憑いた人と、いろいろなケースを見てきたが、その中でも際立って特異なものがあるので、それをご紹介しよう。

 十数年前の夏のことだったと思う。かつて除霊をしてあげた女性が、別の女性を連れてきた。

 「先日は除霊をしていただき、本当にありがとうございました。お陰様で、心身ともにすっかり軽くなり、このとおり元気になりました。ところで今日は、ひとつ先生にお願いがあって参りました。この女性を見ていただきたいのです」

 連れられてきた女性は、見たところ三〇歳を少し出たところであろうか、顔つき、声は普通の人と変わらない。だが私はひと目見るなり、

 「ああ、かわいそうに、たいへんな因縁を背負っている。並の因縁とはわけが違うぞ」と直感した。案の定、彼女は小さい頃から足が不自由で、立ったり座ったりにたいへん難儀しているとのこと。すでに霊障にやられていたのだ。

 早速、除霊を開始した。そのとき、時計の針は午後九時を指していた。私の除霊は、愛念と御神霊とが宿った和歌や長歌を数首、数十首と連続して詠うことにより、憑依霊を悟らせ、浄化し、そして御神霊に許しをいただき、本来居るべき霊界へと送るものだが、このときは、数首も詠わないうちに霊が姿を現した。

 大蛇である。五メートルはあろうかと思われる大蛇である。それも一匹ではなく、十匹ほどの大蛇がからみ合っているのである。

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憑依の実態…苦しみ続く家系の背後に群れなす大蛇の霊(2)015

深見東州先生(=半田晴久氏)は、世界中に愛をワールドメイトのリーダーです。

神界からの神通力(15)

 生臭い。強烈に生臭い。除霊をしている部屋の中の机という机、椅子という椅子、食器という食器のすべてが生臭くなると思われるほど、ヘビの臭いが部屋の中に充満した。私の脇で一緒に手を合わせていた助手など、いたたまれずに部屋から出て行ってしまった。それほど生臭い。

 霊界には、ヘビやキツネ、タヌキなどの動物霊が存在する。これらは人霊が化身して動物の姿になっていることもあるが、本物の動物霊の場合もある。私の目の前にいる大蛇たちは人霊が化身したものなのか、それとも本当の動物霊なのか。どうやら人霊らしい。しかも、相当深い怨みを抱いた霊らしい。怨みの想念が霊波となってビンビン響いているのだ。

 天眼通力(霊眼で見抜く力)で見ると、果たせるかな、人霊であった。それも、うら若き乙女たちばかりである。あまりにも長い間、激しく怨み続けていたために姿がヘビとなってしまっていたのだ。一条の光も届かぬ地獄で苦しんできたその顔は、見る影もないほど変わり果ててしまっている。髪は茫々皮膚は傷だらけ、着ているものもボロボロで、まさしく幽鬼そのものである。が、この世に命ありしときは皆、美しいお嬢さんたちであったと想像される。

 数えてみると全部で十一人。そのうちの一人は、御仏に使える尼さんであった。ボロボロに朽ち果てた着物を身にまとい、怨みに満ちた眼光ばかりをいたずらに炯々と輝かせ、暗闇の中に悄然として立ちすくむ。その姿はまことに哀れを誘うものがある。

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怨念…鬼気迫る犯され殺された娘の怨念016

深見東州先生(=半田晴久氏)は、世界中に愛をワールドメイトのリーダーです。

神界からの神通力(16)

 「いったいどうしたのですか」

 寂として声がない。

 「いったいどうしたのですか」

 再び尋ねた。

 「私たちは長い間、地獄で苦しんでおりましたが、今初めて、私たちに光を当て、私たちの気持ちを聞いてくれる方が現れました」

 とそのうちの一人が涙ながらに語り始めた。

 「私たちは全員、ここにすわっている女の先祖である男に犯され、そして殺されたのです。娘盛りの一番楽しいときに犯されたのです。だから、その男の家系を代々怨み通し、子々孫々苦しめているのです」

 そうであったのか。私はさっそく、天眼通力でその現場を覗いてみた。

 ときは江戸末期。一人の男が若い娘ばかり犯しては殺し、犯しては殺している姿が見える。その男の顔は邪鬼と化し、その行いは人間わざとは思えない。男は思いを遂げたあと、息絶えるまで娘の首を締めあげる。娘たちの断末魔の叫び声が聞こえる。鬼気迫るとはまさにこのことで、まことに正視に耐えない。

 「あなた方の怨む気持ちはよくわかった。しかし、人を怨むのはよくない。しかも、人間の肉体に取り憑いて苦しめるのは霊界の法則に反すること。決して許されません。人間の肉体に憑くことが許されているのは守護神と守護霊だけです。今すぐ離れなさい。だいいち、そんなに怨んでいては、あなた方自身を苦しめるだけです。もう許してあげなさい。そうして、本来帰るべき霊界へ帰りなさい」

 「ダメだ!どんなことがあろうと、こればかりは絶対許すわけにはいかないのだ!」

 説得しようとした刹那、娘たちは声を荒げ、激しく拒絶した。

 無理もない。犯され、しかも殺されたのである。「もう許してあげなさい」と諭されて「はい、わかりました」と言うくらいなら、こんなにも長い間にわたって激しく怨み続けることはないだろう。

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