悪霊を追い払うには197

深見東州先生(=半田晴久氏)は、世界中に愛をワールドメイトのリーダーです。

このブログでは、ワールドメイトのリーダーである深見東州先生の「大除霊」を紹介しています。人間の本質とは何か、悪霊、除霊、カルマ、水子供養、因縁などについて解説しています。

深見東州の「大除霊」(81)

 悪霊を追い払うのもこれと同じことである。

 霊といっても、本来は人間であるのだから、当然、人間らしい感情をもち合わせていて、他人に無視されることに対する思いも、人間と異なるところはない。

 悪霊に、人にとりついて困らせるという仕事をさせないようにすれば、悄然として立ち去ることになるのである。

 ところで、新聞の社会面、テレビのニュースでさまざまな事件が報道される。

 その中には精神異常が原因とされる悲惨な事件も少なくない。

 何の拘りあいもない人間に、突然襲いかかって死に至らしめる通り魔殺人などの場合、犯人の自供内容をみると、

 「あいつが、おまえを殺そうとしているから先にやっつけろ」

 といった声が聞こえたために行動したといったケースが少なくない。

 精神医学者にいわせると、

 「自分の中に別の自分がいると思い込む精神分裂症の典型」

 ということになるが、私たち、霊能者から見れば、この声は悪霊のささやき以外の何ものでもないのである。つまり、悪霊がとりつき、喜々として悪霊ビジネスを展開しているというわけだ。

 この悪霊ビジネスをさせない方法としてはさきほどと同じように、たとえはじめはありありと自覚できても、それ以上に悪霊の存在やささやきや、霊的不快感を無視し続ければいいのである。

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tag : 深見東州 ワールドメイト 半田晴久 悪霊 新聞

目前のことに全力を集中せよ198

深見東州先生(=半田晴久氏)は、世界中に愛をワールドメイトのリーダーです。

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深見東州の「大除霊」(82)

目前のことに全力を集中せよ

 だが、悪霊を無視するのは実際のところ、そんなに簡単なことではない。人間であれば存在を目で確認できるが、霊は目に見えないために、気づかぬうちにいつの間にやらとりつかれてしまっていることが多いからだ。また、霊に対して敏感に反応する霊媒体質の人にとって、霊を無視するのはことのほか難しいことであるらしい。

 たとえば、こういうケースがある。

 「あっ、これはキツネだな。人霊キツネか稲荷ギツネの、さてどっちだろう。そういえば、おじいさんが稲荷信仰していたから、人霊合体稲荷ギツネに違いない。クソッ、負けるもんか。稲荷をやっつけるには、何々経だ」

 と、一生懸命お経をあげて払いのける努力をする人がいるが、これは逆効果である。払いのけようとすればするほど悪霊を気にして意識し、心と霊がそれに結びつけられてしまっているので、かえって悪霊は喜々としてとりついて戦ってくる。悪霊のするちょっかいにまんまと乗っかっていることになる。

 また、本書を読んだ人の中には、次のようなことを試みようとする人もいるだろう。

 「あっ、霊が来た。でも、影響なんか受けないぞ。気になんかするもんか。無視するんだ」

 だが、これもミイラ取りがミイラになるケースである。気にしないぞといいつつ、思いきり存在を気にしていることになるからだ。

 霊と闘うぞ、霊を無視するぞという心になれば、霊と同じき世界、同じ土俵に生きて相撲を取っていることになることを知らねばならない。

 ではどうすればいいのか。すでに述べたようにまったく違う世界、たとえば仕事や芸術などの現実界のことに集中することである。現実界という次元に没入没頭すれば、おのずから四次元界のことは忘れているはずである。この「四次元霊界のことを忘れている」という意識こそが、最も大切なことなのである。こうなれば、悪霊の住む世界とはまったく違った土俵に立つことができて、変なものにもつけ入れられずにすむのである。これこそが気を転ずる、存在を無視するということの真義である。

 かくいう私も、超過敏な霊媒体質の人間である。誰よりも霊を受けやすいタイプといってよいだろう。そのため、四六時中悪霊に襲われて、吐き気をもよおしたり、目が血走ったり、筆舌に尽くし難いほどの苦しみを味わっているが、そんなときは、著作にふけったり、書道に打ち込んだり、絵を描いたり、笛を吹いたり、焼ソバをドカ食いしたり、とにかく、目前のさまざまな仕事に精一杯集中することにしている。

 私の場合は、特にいちいちそれらを除霊していたら、毎日毎日際限もなく除霊し続ける人生となるからである。まあ、こうすることによって、霊界のことを忘れることができて、しかもその努力を神様や守護霊たちが高く評価して下さるから、強烈なお力を刻々に与えてくださるのである。その結果、悪霊の毒牙にかかることなく日々すごせるのである。そして、こうして悪霊に打ち勝つプロセスの中で、人間としても進歩向上し、社会的にも高く評価される能力ある人間へと成長することができるのだ。

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tag : 深見東州 ワールドメイト 半田晴久

霊能者の悲しい運命199

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深見東州の「大除霊」(83)

霊能者の悲しい運命

 霊媒体質の人の話が出たので、霊との交流ができる霊能者についても簡単にうれておこう。

 絶えず、霊と闘おう、闘おうと考えたがるのが中途半端に霊能の開けた人、または霊能力を多少身につけた霊能者の悲しい運命である。霊能力とは、もちろん、神力あるいは現実界の実力を身につけていれば、神や常識に知らされて、正しく霊に対する向かい方もわかってくるものだが、何事も中途半端な人間は、いったん霊がわかりだすと、そこから抜けきるのが難しくなる。しかし、これはある意味では無理のないことなのだ。なにしろ霊が見えたり霊の声が聞こえたりするのだから、霊を払いのけようと試みるのは、当然なのである。

 だが、ここで注意しなくてはならないことがある。それは、あらゆる機会にに美しいものを見、美しい世界を想い浮かべることを忘れてはならないことだ。

 霊能者は、いうまでもなく霊との闘いの日々に明け暮れている。地獄界を這いずり回る低級霊たちを相手に、毎日毎日闘っているのである。

 その低級霊たちの姿かたちがどのようなものであるか、想像していただきたい。二目と見られぬ……という程度のものではない。目が飛び出し、鼻がつぶれているのはまだましな方で、両手両足が存在しないにもかかわらず、元気にはね回ってみせる恐るべき力、奇怪な声や汚らしい化け物の姿や衣に、ゲジゲジや百足やウジ虫やクモなどが、ウヨウヨとこびりついている。さらには、人間の姿をとどめず、大蛇の姿となり、ツノや牙を生やして体中から異様な臭気を発散させる。醜悪そのものといった姿であり、とても正視に耐えるものではない。ウルトラマンに出てくる怪獣のほうが、よほど美男、美女であるという気がする。

 そんな気持ち悪い姿を毎日毎日見ていたらどうなるか。誰だって目つきが悪くなるのに決まっている。

 実はこれが、霊能者の目つきや人相の悪い理由なのである。霊能者は、よくサングラスをかけているが、霊能者で目もとが涼しく、人相がすがすがしいという人をあまり見たことがない。いるとするならば、深見東州ぐらいだ。これはいいすぎだ。謙虚さがない。だから、たとえ慈悲の心で救いを求める人たちと対応していても、たえず地獄の有り様を見ていると、どうしても目つきや人相が悪くなるのである。

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tag : 深見東州 ワールドメイト 半田晴久 霊能者

霊能者の悲しい運命(2)200

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深見東州の「大除霊」(84)

 それは、警察官には目つきや人相のよくない人が多いという理由と同じである。

 警察官の仕事はいうまでもなく、犯罪者を取り締まることである。その犯罪者が例えば必死で逃げていく。その後を警察官が追いかける。そのときの警察官は、犯罪者とほとんど同じく血走って、実に怖い目つきをしている。それを、笑いながら、追いかけている人はまずいない。

 もちろん警察官は善なる人であるのだが、扱っている仕事上、どうしてもそういう目つきにならざるを得ないのだ。ごくろうさまですと、申し上げるほかはない。

 しかし、目つきや人相が悪くなるだけならまだたいした問題ではない。他人にあまりにいい印象を与えないというだけだ。それより大きな問題は、想念までが悪くなってしまうことなのである。

 醜いもの、汚いものをいつも見ていると、いつしか心まで醜くなるのが人間の常である。低級霊たちの姿を毎日見ている霊能者の心に、必ずゆがみが生じてくるのももっともな話だ。

 この点が霊界だけしか見えない霊能者の落とし穴なのである。神界の入口にも入り、現実界でも立派に生きようとするのなら、まず、その霊視、霊眼、天眼というものが、出したり、ひっこめたりできて、いつでも霊界が見えているという状態をなくせるようにしなければならない。

 そうでなければ、それは霊能力にふり回されているのであり、霊能力を使うのではなくて、使われているということになる。霊能力が一切なくなってもぜんぜん平気で、普通の現実界の人としても、人々が尊敬できるような立派な行いと人間性をもつことができて、はじめて、神界とともに生きる人となることができるのだ。ではこの霊界を見すぎる目をどうすればいいのか。

 それから逃れるには、美しい自然を見、美しい音楽を聴き、美しいこの世の景色をたっぷりと鑑賞するしかない。つまり、なるべく天国界の美しい様相を見ることなのである。

 それが、悪霊を見た目の毒を相殺することになる。簡単なことなのだが、実践している人は少ない。それから、私のところには女優さんやモデルさんがときどき訪ねてくるが、そんな美しい人を見ることは目を清めるためにはいい。その人の霊界を見れば、吐き気をもよおすことがときどきあるが……。

 また、美しい自然の風景を見たり、それを凝視して絵を描いたり、書道をしたりするのも効果があるといえよう。

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tag : 深見東州 ワールドメイト 半田晴久 霊能者

ふとした感覚201

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深見東州の「大除霊」(85)

「ふとした感覚
 「楽天主義と悲観主義を研究・分析した結果、楽天主義のほうが正しいようなので、自分は楽天主義の立場に立とう」という人はいないはずである。一見、そのように思えたとしても、研究・分析する前に自分の情念や好みによる「ふとした感覚」があって、それが結局、楽天主義を選ぶか悲観主義を選ぶかのすべての理由となっているはずである。

 信仰もこれと同じである。「神様のことを研究した結果、どうやら神様は本当にいるらしいので信じることにした」、などと言う人は絶対にいないはずである。神様を信じるか否かは、要するに神様を信じることが好きか嫌いか、興味があってなんとなくそう思うかそう思わないかの問題であり、神の存在云々の理屈は後からついてくるはずなのだ。だから、神様が好きな人はことさら説明や説得をしなくても、素直に信じるし、嫌いな人はどんなに言葉を尽くしても、たとえすごい証があったとしても全部の人が信じるわけではないのだ。

 読書傾向についても同じことがいえる。悲しみに満ちた本、人生の挫折を述べた本ばかり読んで、「ああ、まったくそのとおりだ。人生なんて悲しくて空しいのだ」と考えている人がいるが、彼らは本を読んだ結果そう思ったのではなく、もともとその人の中に「人生は所詮、空しく、悲しいものなのだ」という想念があるので、それに感応する本ばかりを選んで読んでいるのである。もちろん、それに感動するとか共鳴するというのは、そういう部分に感応しているからなのである。

 その結果、徐々にマイナスの概念が構築されて、その人の認識の基礎ができていくのである。このような認識や思想が主義となり、たとえば虚無思想や悲観主義と呼ばれたりするのだ。

 哲学者のショーペンハウエルは次のように述べている。「人間の認識は、本を読んだり人の話を聞くことで吸収した概念によってできあがる。その概念はどこから来るかといえば直感だ。つまり直感、概念、認識という順で構築されるのだ」と。

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tag : 深見東州 ワールドメイト 半田晴久 感覚

ふとした感覚(2)202

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深見東州の「大除霊」(86)

 では、その直感、言葉を換えていうならば「ふとした感覚」は、どこから生まれてくるのだろうか。結論をいえば、自分の人生にプラスとなる「ふとした感覚」は守護霊。マイナスとなる感覚は地縛霊、浮遊霊、たたり霊等の霊。これら諸々霊たちの念波を受けて生まれてくるのである。むろん、その人のご本霊が住んでいる霊界が、すべての「ふとした感覚」の基礎となっている。その人から常に湧きあがってくる「ふとした感覚」が明るい人は、ご本霊が居る霊界を表す「ふとした感覚」の基礎の上に、良き「ふとした感覚」や悪しき「ふとした感覚」が行き乱れ、行き交うのである。

 たとえば、地縛霊や救われない先祖霊がウヨウヨしている屋敷に住んでいれば、どうしても、それらの霊からくるマイナス念波を受けるので、ふと、もの悲しい思いに襲われて、「人生は空しい。悲しみでいっぱいだ」となりやすい。

 逆に、プラスの念波から生まれた「ふとした感覚」については、次のような実例がある。

 皆さんは、「雪印のスライスチーズ」とか、「ピカピカの一年生」とか、「カットビー!!」といった、ちょっと昔のCMをお聞きになったことがあるだろう。この声の主はの、声優佐藤ナナコさんなのだが、彼女は、まことにユニークな女性である。肩書きを並べれば、声優、レコード五枚を出したシンガーソングライター、そして、先般世界カレンダーコンテストで優勝したカメラマンと実に多才である。さらには、現在パリに住んでビデオや映画の監督兼シナリオライターもめざしているとか。

 どうしてこれだけの才能に恵まれているのか。本人は、「親がオリンピックに出すんだといって、体操をやらせられたのね。ところが、平均台の上で回転をやってたとき、落っこちて頭を打っちゃったの。どうやら、そのときから頭がおかしくなっちゃって……」
 といっているが、これは冗談だろう。

 彼女の口ぐせは、「ワー、何となーくすばらしいわあ」である。

 ふつうの調子とは違うこの声を聞くと、その場にいる人たちが、皆なごやかな心地になる。そして、カメラを扱いはじめた動機を聞くと、

 「カメラって何となーくすばらしい」と思って、いつもカメラをぶらさげていたところ、その道の大家が「本格的にやってみたら」と声をかけてきたという。

 おそらく、歌や映画の世界に首を突っ込んだのも「何となくすばらしいわあ」という「ふとした感覚」が生まれてきたためであろう。

 常に、どんな対象に対しても、「何となーくすばらしい」「何となーくすばらしい」の連発で日々を送っている彼女だから、彼女の中の霊界は、「すべてをすばらしいものに変える。ますます、すばらしいものに出会える。結局、すばらしいものとして成功してしまう」というものができあがっているのである。それだから、いつもフレッシュで素朴で、積極的なのだ。これが彼女の内にあった才能をフルに開化させたのだといえる。

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いい「ふとした感覚」をいつももつように心がけよう203

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深見東州の「大除霊」(87)

 ところが、そんな彼女にも悪霊がつくことがあった。

 はじめてお会いしたときは、やたらと憂うつなお話をしておられた。それで、どうしたのだろうと訊いてみたところ、

 「今、私、お墓の写真に凝ってるんです。日本のお墓は何かおどろおどろしいけど、ヨーロッパのお墓って、いつもお花が咲いてて、何となーくすばらしいでしょう」

 それはいいのだが、お墓を撮りまくっているうちに、西洋の浮遊霊が山ほど彼女についてしまい、彼女自身の顔までが幽霊のようになってしまったのである。

 そこで彼女が除霊を受けに来たのである。

 「わあ、頭がすっきりした。何となーくすばらしい気分」と、すっかり元気を取り戻したのである。このときの彼女は、マイナスの念波とプラスの念波が鉢合わせになったケースだったといえよう。

 ともあれ、「ふとした感覚」が人生を決めてしまうことが少なくないのであるから、決してないがしろにしてはならないのだ。いい「ふとした感覚」をいつももつように心がけよう。

 過去から現在に至るまで、多くの哲学者や思想家たちが、実存哲学だの、唯物哲学だのとさまざまな自説を標榜してきたが、それらの大本になっているものは、その人を取り巻く時代背景と自己霊を含む霊界からのさまざまな霊たちの出す念波だと考えていい。

 たとえばマルクスの資本論の本質は、霊界風に説明すれば、彼の抱く強烈な社会に対する怨念であり、そこに取り巻く執念霊が生み出す、智恵の砦なのである。自分のもつ怨念と同じ怨念に満ちた執念霊が、マルクスに資本家に対する怨念に満ちた資本論を書かせたのである。

 だが、実はこの背景にはもっと奥深い主神の経綸が隠されている。本当をいえば、マルクスは悪神の使者ではないのである。鬼神の使者というほうがいいかもしれない。こんなことをいうと、キリスト教系の方は、大反発をされるかもしれないが、本当なのだ。

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tag : 深見東州 ワールドメイト 半田晴久 マルクス

世界連邦政府樹立の足がかり204

ワールドメイトは、深見東州先生(=半田晴久氏)が教祖の宗教団体です。

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深見東州の「大除霊」(89)

 やがて、社会主義陣営や共産主義陣営が、温和な協調を尊ぶ社会主義的ブロック、自由経済陣営に変貌した暁には、自由主義陣営も、社会主義的な国の統制や強力な国家指導によって、世界経済をまとめあげようとする時代になっているのである。そして、国の内外ともに、協調体制を抜きにしては、いかなる国の経済も語れないようになっている。そうして、どちらの陣営も、だいたい同じような経済構造と経済方針をもって進まねば、両方とも成り立っていかなくなってきたときに、世界連邦政府樹立の足がかりができあがるのである。

 大きく分けて、世界の経済は三つの大きな経済ブロックと一つの小規模な経済ブロックとに分かれる。すなわち、計四つの経済ブロックによって世界経済の骨組ができあがることになっているのだ。日本は、最初は最も大きな経済ブロックの総幹事国となっていくが、あることがあって、一転して、一番小さな経済ブロックの長となる。文化、芸術、宗教、学術、教育、科学の研究センター及びすべてのエッセンスを集めた高度で独自な文化経済国となって、GNPは世界で四十番~四十五、六番ぐらいになる予定である。そのころ、GNPがトップになっているのはカナダであり、ずいぶん、世界も変わっていることになる。決して、この三十年ぐらいのことではない。もっと先ではあるが、そんなに先すぎないというほどの未来のことである。そのころになったら、マルクスが、善神が鬼となって世界の根幹を変えようとしていたときの神使だったことに気づくだろう。「宗教はアヘン」といったり、「宗教も神も認めない」と主張しているから、宗教家にとっては、まさに悪魔かもしれない。

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tag : 深見東州 ワールドメイト 半田晴久 守護霊 守護神 生霊

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