無形の世界に心が向かない人469

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このブログでは、ワールドメイトのリーダーである深見東州先生の「大天運」を紹介しています。徳を積むことの意味、輪廻転生、前世の秘密、守護霊などについて解説しています。

深見東州の「大天運」(37)

 もし仮に、無形の宝を無視して有形の宝にばかり心を奪われている宗教者がいるとしたら、その人は、天地自然のことが何ひとつとしてわかっていないということになる。もっとはっきりいえば、無形の世界に心が向かない人は、信仰しているとはいえないのである。たとえば、

 「お金がもうかりますように」

 「入学試験に合格しますように」

 ということばかり祈願して手を合わせることは、まさに「お陰信仰」以外の何ものでもなく、決して正しい信仰とはいえないのである。

 しかし、無形の宝だけでいいかというと、決してそうではない。何度もいうように、有形、無形、両方の宝が大事なのだが、無形の宝が主で有形の宝が従とならなければ本当ではない。有形の宝には一切執着せず、絶えず無形の宝を積んでいくことで、結果的に、有形の宝も生み出されていく。そして、この生み出された有形の宝に執着せず、さらに無形の宝を積もうと努める。こういう姿勢が大切なのである。天運とは、こういう積み重ねの結果、もたらされるものなのである。

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化する働き470

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深見東州の「大天運」(38)

「化する働き」の原理

 では無形の宝とは一体何であろうか。これをご説明する前に、「変化」という言葉について述べてみたいと思う。

 私たちはよく、

 「最近の国際情勢は変化が激しく……」

 とか、

 「若者の意識も昔に比べるとだいぶ変化して……」

 などと、「変化」という言葉を使う。実は、無形の何かが有形なものになっていくのを「化する働き」といい、有形のものが無形のものになっていくのを「変ずる」というのであって、この二つの意味を合わせた言葉が「変化」というわけだ。だから、ものの順序からいえば本来、「化変」というべきであって、「変化」というのは有形のほうにウエートをおいた言葉といえる。

 それはさておき、「化する働き」とは具体的にどのようなものをいうのかというと、一例として雨がある。雨は周知のとおり、空気中の水蒸気が凝結して水滴となって落ちてくるわけだが、水蒸気のときは無形である。この無形の水蒸気が凝結して、有形の雨になることを「化」というわけだ。

 これとは反対に、氷が溶けて水となり、さらに水が蒸発して水蒸気となって消えていくのを「変」という。

 無形の宝とは何かを理解するために、この「化」と「変」とを、しっかり頭に入れておいていただきたい。

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諸行無常471

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深見東州の「大天運」(39)

仏教思想に見える消極的姿勢

 さて、話は突然変わるが、ここでしばらく、仏教の話をしたいと思う。仏教については『神霊界』で詳しく書いたが、読んでいない方のために、もう一度お話ししたい。

 仏教は、難しく考えればとてつもなく難しくなるが、簡単に考えれば「三宝印」に漸くできる。つまり、「諸行無常」「諸法無我」「涅槃寂静」の三法印である。

 「諸行無常」とは、常なるものは一つとしてなく、世の中変わり続けるという意味だ。これは『涅槃経』に見られる、釈迦の遺言でもあって、こんな話がつたわっている。

 八〇歳近くなったあるとき、釈迦は風邪をひいた。そこで弟子たちは、高齢のことだからもう亡くなるのではないかと心配したが、幸いにも元気を回復した。そのとき、弟子の一人である阿難尊者が、

 「ああ、よかった。もし、お釈迦様がお亡くなりになられたら、私たちは一体どうしたらいいのでしょう。ご病気が治って本当によかった」

 といった。すると、釈迦は答えていった。

 「阿難よ。諸行無常、世の中は変わり続けていくんだよ。いつまでも私がいると思ってはいけない。自らを灯とし、私の説いた法を灯として生きていかねばならない。精進を怠るでない」

 これが有名な「自灯明、法灯明」という、入滅する前の釈迦の遺言である。釈迦がこの世にいるのはわずかの間で、いつまでもいるわけではない。釈迦がいるときはいるときで精進に励み、いないときはいないときで精進に励む。形あるものはやがてこわれ、生命あるものは生命を失い、すべて刻々に変化していくというわけである。

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tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久 諸行無常

諸法無我、涅槃寂静472

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深見東州の「大天運」(40)

 二番目の「諸法無我」とは、諸々の形あるものは我がない。つまり実体がないということ。形のあるものは、やがて形を失い、水蒸気のように消えてしまう、という意味である。だから、永遠に変わらない無形の実相を見つめよう、という意味も含まれている。

 「変化」という側面から見れば、「変」について語っているといえよう。

 三番目の「涅槃寂静」は、一度死んで永遠に幸せな世界にいったら、二度と生まれ変わって苦しまなくてもいい、という意味。また、涅槃の境に入って、永遠の安心立命である寂静を得ようとも解される。

 以上の三つで釈迦の教えは要約され、一般に「三法印」と呼ぶわけだが、「四法印」をもって釈迦の教えを要約することもある。その場合には、先の「三法印」に「一切皆苦」をつけ加えることになる。

 世の中はすべて苦しみだ、人生は苦しみだ、というのが「一切皆苦」である。そして、苦しみとは何か(「苦諦」)、なぜ苦しみは集まるのか(「集諦」)、どうすれば苦しみをなくすことができるのか(「滅諦」)、どうすれば苦しみをなくし続けることができるのか(「道諦」)ということから「苦集滅道」となる。これが「四諦」であり、苦楽の道である人生を物語っている。そして、それらを、改善する方法が「八正道」となるのである。これらをまとめて「四諦八正道」と呼ぶ場合が多い。

 以上が「四法印」の「一切皆苦」の概略だが、これらはあくまでも四番目であって、釈迦の教えのエッセンスはやはり「三法印」にある。こう考えれば、あの膨大な大蔵法典もわかりやすいのではないだろうか。

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諸法無我に集約される仏教の思想473

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深見東州の「大天運」(41)

 さて、これまでの説明で、仏教のだいたいの趣を感じ取っていただけたことと思うが、仏教は先ほどの「変化」という面から見れば、「変」のほうに重点を置いていることがおわかりいただけたろうか。

 それは、「三法印」の二番目、形あるものはやがて形を失って無形の世界に還っていくという「諸法無我」に集約されているのだが、この仏教の思想はあまりにも消極的であるといわざるを得ない。

 「どうせ、形あるものは無に帰するのだから、何をやっても空しい……」。仏教思想にとりつかれると、どうしてもこういう傾向が現れてくる。そしてついには、生きていること自体にも空しさを覚えるようになる。

 むろん、真正の釈迦の教えはもっと明るく、積極的である。ただ、インドという社会と風土、中国という社会と風土を経て、日本に伝わるまでの間に、こう色づけされたのである。

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霊界で見た釈迦と弟子たちとの交流474

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深見東州の「大天運」(42)

 ところで、霊界で見た釈迦と弟子たちとの交流は、絶えずユーモアと笑いに満ちていて、楽しくかつ真剣なものであった。ただ、釈迦は聖者扱いされていたので、

 「……と、釈尊は曼荼羅華を降らしながら、富楼那尊者のジョークに対して、地面に手を叩きつけながら笑いころげた。そして、あまりに笑いすぎたため、しばらく頬がひきつり、得意の説法ができなかったのである」

 という場合の描写が、仏典結集、すなわち入滅後、間もなく行われた仏典の編纂のときに、採用されなかったのである。ついでながらいえば、イエスのそういう面もバイブルには載っていない。当然のことだったと思う。私が編集責任委員だったとしても、やはり権威が下がるので、採用しなかったであろう。

 しかし、愚鈍な周梨槃特のような人物や、無教養な底辺の人々に、釈迦がまじめくさった高尚な説法ばかりをしていたとは考えられない。もっと、高低や剛柔の説法大自在であったはずだ。

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ますます無形の宝を積む475

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深見東州の「大天運」(43)

 それはともかく、一般的な仏教思想に見られる、因縁だ、業だ、形あるものは消えるんだという、消極的で空しさが漂うムードは、惟神の国日本、現代に生きる人たちにふさわしいとはいえない。

 これではいけない。私たちが本来目指すべきは、「変」ではなく「化する働き」のほうである。つまり、無形の宝を積んでいくと、やがて有形の宝となって現れるという側面に視点を置いて、ますます無形の宝を積むことに努めなければならないのだ。

 形あるものはやがて無に帰する、だから空しいのだという「諸法無我」は、執着心や煩悩にとらわれている人間や祟り霊、地縛霊、浮遊霊などを救霊するとき、あるいは死んだ人間を悟らせるとき、これを説かねばならないが、生きている私たちが「諸法無我」などと聞くと、何事も空しくなってしまい、やる気、勇気が出てこなくなってしまう。だから私たちは、「化する働き」のほうをより中心的に見て、大和魂を発動させるようにしなければならないわけである。

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君子は本を務む476

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深見東州の「大天運」(44)

 このあたりをとらえて、孔子は次のようにいっている。

 「君子は本(もと)を務む」

 と。すなわち、立派な人物は枝葉末節の結果などには目もくれず、つねに本になることに一生懸命励んでいる、というわけだ。では、「本(もと)」とは何か。「本」とは本質であり、無形の宝である。つまり、立派な人物は、学問や道や徳などの無形の宝を積み重ねることに熱心で、財産や地位、名誉などの枝葉末節には無関心であるが、その人間としての価値を認める周囲の人々によって、有形の宝である地位や名誉も自然に備わる、というのがこの言葉の意味なのである。

 これからもわかるように、孔子は決して地位や名誉、財産を否定してはいない。ただ、そういうものに心を向けないで、本を見なければいけないというのである。

 このへんの孔子の咀嚼力については、偉大としかいいようがない。

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「化する」とはどういうことか477

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深見東州の「大天運」(45)

勇気をもって目前の困難に立ち向かえ

 ところで、無形の目に見えない宝を積んでいけば、有形の目に見える宝に「化する」ということは、『易経』にある言葉、

 「極まりて

 と表現することができる。この場合、無形の宝はあくまでもで、有形の宝はである。なぜなら、が主でが従だからである。その証拠に、「」といっても「」とはいわない。要するにが中心であって、陰から始まり、が出てくるのである(もっと詳しいことをいうならば、この陰は後天の陰であって、先天の陽が化して後天の陰となるのである)。

 しかし、そう簡単に陰から陽が出てくるわけではない。あくまでも「陰極まりて陽」、陰が本当に極まっていよいよ熟して初めて、そこから陽が出てくるというのだ。「化する」と同じ意味であるといえよう。

 ここで、もう少し易の話を突っ込んでみよう。

 易には「爻(こう)」という卦(け)を表す横画がある。この「爻」は乾(けん)と坤(こん)にそれぞれ三つずつあり、━が陽で、‥(本当は━の真ん中が途切れているもの)が陰である。この六つの「爻」のバランスで、天地自然の象を六四のパターンに分けているわけである。

 ところで、六月二三日ごろ夏至は一年で最も日が長いときで、乾の「爻」も坤の「爻」もすべて陽が極まっている。だから、六月二三日ごろが、易では夏の真っ盛りというわけだ。

 そうして、陽が極まると今度は陰に入っていき、パッと坤に一陰が現れるのである。

 この夏至に対して、冬至は一二月二二、三日ごろ。冬の至りで、最も日が短いときである。この冬至は易でいえば、乾も坤もすべて陰、陰の極まりということになる。

 そして、陰が極まったこのときに、パッと坤に陽が出てくる。これが「一陽」である。この「一陽」が出ると、次第に陽の「爻」が増えてくる。ということは、一二月二三日の冬至あたりから、本当は春が始まっているわけである。

 ただし、まだ形に現れる春ではない。無形の世界での春の訪れである。

 こうして、「一陽」から始まった春の訪れは、無形の世界で徐々に積み重なって、「幾(き)」という兆しが出てくるようになる。だが、一月、二月のころでは、地上には現れない。兆しが徐々に長じて、やがて三月、四月ごろになってようやく、地上にも春がやってくるのだ。一月、二月は無形の春、三月、四月は有形の春なのである。

 草木の芽がふき、いかにも春らしい風情となる前には、すでに目に見えない世界で春が始まっているのである。

 したがって、夏真っ盛りというときにはすでに秋の訪れがきていて、冬真っ盛りのときにはすでに春の訪れがきているのである。

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tag : 深見東州 ワールドメイト 半田晴久 有形 無形 易経

人生の四季の正しい過ごし方478

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深見東州の「大天運」(46)

 この「陰極まりて陽、陽極まりて陰」の法則は、何も天地自然の運行にだけ当てはまるものではない。人間の運勢、国家の栄枯盛衰にも当てはまるのである。それゆえ、古来、君子はこの法則をもって、修身の鏡としたのである。すなわち、自分の名声が高まっているとき、他人から評価されているとき、調子がいいときはすでに凋落が始まっている、だから有形の宝が開花しているときにこそ、傲慢にならず、地道に目に見えない徳を積まなければならず、次の開化のための準備もしなければならない、と。

 逆に冬が厳しくてつらいときには、すでに目に見えない世界では春がやってきている。この苦しみ、悲しみ、絶望の冬の時代も、やがて暖かい春の陽光に包まれるのだ。だから、冬の真っ盛りでも絶望してはいけない。悲観してはいけない。勇気をもって、目前の困難に立ち向かうべきである、と。

 これが、正しい人生の春の過ごし方であり、冬の越え方なのである。

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