没入することが私のパワーの秘密989

ワールドメイトは、深見東州先生(=半田晴久氏)が教祖の宗教法人です。

このブログでは、ワールドメイトのリーダーである深見東州先生の「それからどうした」を紹介しています。幸せについて、人生でいかに選択するのか、などが解説されています。

深見東州の「それからどうした」(33)

 聞くところによると修道院のシスターは、風呂に入る時も服を脱がずに、白装束で入るとのことだ。女性というのは、どんな人でもナルシストで、必ず自分の肉体や精神のなかに、美点を探し出そうとする。禁欲生活を続けるシスターが、裸で風呂に入り、自分の豊満な裸体を目にして、思わず「アア、何て美しく豊かなバストだろう」「この肌の艶、美しさは誰にも負けないわ」といったような気持ちになることがないよう、白装束のまま入浴するということだ。このように、禁欲は長続きしないよ、どこか歪んで底意地が悪くなったり、財テクに走ったりするようになるよ、というわけだ。

 しかし、先のギリシャの哲学者は、先程の言葉に続けて、

「たった一つだけ(禁欲が)成功する方法がある。それは何か、ものごとに没頭することだ」

 と述べている。私も、この没頭することを自分に課している。

 私は、自分に課したいくつかの禁欲は、世の中のため、人のために神様の御心を伝えるべく東奔西走することで、禁欲していることそれ自体を忘れるようにしているのである。もしも私が、禁欲を意識したら私の負け。目の前のなすべきことに没頭し、集中し、忘れていたら私の勝ち、と考えているのである。

 幸いなことに、現在のところは私の圧勝である。その没頭することが、私のパワーの秘密ともなっているのだ。

(つづく)

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目標を達成したいなら代償としての戒律が必要990

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深見東州の「それからどうした」(34)

 ここで一つ付け加えておけば、異性に関しても、禁欲を忘れるぐらいに何かに絶えず集中するようになってからというもの、私は随分と女性にモテるようになったのである。これも運命というべきか……。


何かの目標を達成しようと思えば、
 その代償としての戒律が必要である

 比叡山の開祖である伝教大師が『山家学生式』(桓武天皇に、比叡山は生にを目的として作られたかを上奏した文書)の中で、

「道心(道を求める心)を知っていて、人に話せる人は、これ国家の孝子であり、道心を実践している人は、これ国家の実践家であり、その両方を持っている人は、これ国家の宝なり」

 と書いている。

 比叡山を作ったのは、建物や金銀財宝を手に入れるためではなく、国家の宝である人材を育てるためなんだ、ということである。

 比叡山は、日本仏教の立役者とも言うべき、親鸞、法然、日蓮、一遍上人、道元といった人達を育てたが、このような背景があったからこそと言うべきだろう。

(つづく)

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禁欲は大変に辛く苦しい991

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深見東州の「それからどうした」(35)

 比叡山は、自分で仏道を成就させたいと「発願」してやってきた人の「修行の場」だ。その願望を成就するために妨害となる酒、女、バクチなどを断つのは、ごく当然のことだ。そうしたものが欲しくなるのは、発願があやふやでいい加減なのか、あるいは修行に熱中していないのか、どちらかだからである。

 どちらの在り方も、比叡山が必要としないものである。比叡山や高野山、出羽三山などが長い間女人禁制であったのは、せっかく没頭し、熱中している仏道修行者達の心に動揺を与えないためだったのである。

 しかし、この禁欲は大変に辛く苦しい。これほど世界的にタバコ喫煙の害が叫ばれながら、なかなか禁煙に踏み切る人が増えないのは、それだけ人間の欲望の強さを表してもいる。酒も女性も本当に断てる人が昔も今もどのくらいいることか。

 だが、当時、法然と親鸞は、このような「禁欲修行」に疑問を投げかけた革命児だった。

 当時の僧侶にとっては、禁酒、妻帯の禁止、肉食の禁止といった戒律は、常識的で普遍的な真理だと考えられていた。

(つづく)

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法然と親鸞は反抗した992

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深見東州の「それからどうした」(36)

 しかし、巷で苦しんでいる一般の人々を救済することを目的とする仏教が妻も持たず、家庭生活の体験が無い人々ばかりを育てていたのでは、本当の庶民の苦しみなど理解することができず、真の救済にならない、と法然と親鸞は反抗したのである。

 親鸞は現在でも、知識人や文化人と呼ばれる人たちに圧倒的に人気のある仏教者であり、思想家でもある。その、

「善人なおもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」

 の言葉は、歴史的な名セリフとなっている。

 二度結婚し、子供を作り、肉を食べ酒を飲み、そして生涯仏の弟子として組織もお寺も持とうとせず、庶民の生活の中で一生を終えた親鸞は、様々な形で迫害を受けたが、自らの戒律である庶民と共に生きよ、という言葉を実際に生ききったのは間違いない。

 組織を持ち、お寺を構えると、それを維持するためのお金が必要となり、やがて権力と化してしまうことを親鸞は知っていたからこそ、先に述べたような生き様を貫いたのである。

(つづく)

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リーダーを目指す者は戒を持て993

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深見東州の「それからどうした」(37)

 妻帯、飲酒が一般にどう変遷していったのかというと、段々と当たり前のことになっていったのである。比叡山はもとより、多くの僧侶たちが、表面的には禁欲を唱えつつ、だが実際には様々な名目を使ってその後妻帯し、酒を飲み、肉を食べるようになっていったことだけは間違いない。この後進の僧侶たちは、師たる最澄はもちろん、親鸞の志でさえも継ごうとするものではない。

 彼らは、親鸞のように革命的な、当時の誰もが常識と信じていたことに対する思想的哲学的発想を持っているわけではなく、その人間の自然な欲望こそ神の道にかなうのでは、といったアンチ・テーゼを実践するのでもない。そうした形ばかりを真似した結果がどうなったか。すべてとは言わないが、最近の一部の僧侶は、保育園や幼稚園を経営し、巨額の葬儀料や戒名料を要求し、暴力団と交際して、外車を乗り回し、ゴルフに興じているという話も聞く。

 私の「何か禁欲を持とう」は、現代の日本仏教に対するアンチ・テーゼである、と自負するものでもある。


リーダーを目指す者は戒を持て

 中国古伝説上の聖王として、今にまで讃えられている方が、堯・舜・禹である。その舜が、ある日禹に対して、政治と人道の極意として語った教えが、

「人心これ危うく、道心これ微かなり、これ精、これ一允(まこと)にその中(ちゅう)を執れ」

というものだ。

(つづく)

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持戒(自分で戒律を持つこと)は当然のことである994

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深見東州の「それからどうした」(38)

 これは儒教のエッセンスと言われ、道心という人間の魂はかすかなものだ、人心という人間の欲望から出てくるものは危うく、ここにすべての堕落と失敗が潜んでいる、という意味である。また、舜は禹に、

「允(まこと)にその中(ちゅう)を執れ」

と教えた。

 一つのことに誠実に、一生懸命努力して、人間の喜怒哀楽のツボにはまった仕事をしなさい、ということである。すなわち、喜怒哀楽が発生する前の世界、それが中(ちゅう)なのだ。

 人々が日々の生活を幸せに、穏やかに過ごしていれば、喜怒哀楽の感情は発生しない。そんな政治こそ、理想的な社会であり、帝王たるものは、そういう政治のために努力せよ、ということでもある。

 伝教大師は比叡山を開くとき、

「国宝としての人材を育てるのだ」

と述べたが、同時に、

「世の中のリーダーになるような人材は、自分勝手なことばかりしてはいけない。自ら発願して生命がけで仏道を成就させようというのだから、『持戒(自分で戒律を持つこと)』は当然のことである」

 とも述べている。

(つづく)

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最低三年は努力し、大きな目標なら十年の継続が必要995

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深見東州の「それからどうした」(39)

 このことは、将来に目標を持ったなら、その目標を実現させるための代償として、自分なりの戒律を持たなければならない、ということだ。

 昔の人は、お茶断ち、タバコ断ち、ミソ汁断ち、といったように、様々な代償を払って「願断ち」を実行した。現代ならば、コーヒー断ち、酒断ち、コーラ断ちといったものでもいい。このように、戒律というのは、目標とセットになっているものだ。

 さらに大切なことは、この戒を持続させることである。

 どんなに小さな目標であっても、一つの目標を達成させるには、最低三年の努力が必要となる。そして、大きな目標なら十年の継続が必要だ。そこで、この努力を続けるためにも、戒律が必要となる。

 この場合、戒律とは自己を律するものだ。誰かに言われたから他律的にむやって意味があるものではないことは、言うまでもないだろう。大切なのは、その自らの心構えと、それを貫く精神である。

(つづく)

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人は幸せになる義務がある996

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深見東州の「それからどうした」(40)

第二章 人は幸せになる義務がある

人は幸せになるために生まれてくる

「人の何のために生まれてくるのか」

 これは人類にとって永遠のテーマである。

「オレは、幸せになりたくて生きてんじゃない」

 といったヘソ曲がりや、

「生まれたくて生まれてきたんじゃない」

「親が勝手に産んだんだから、勝手に生きているんだ」

 と言う人もいるが、大多数の人々は幸せになることを願っているものだ。

 わたしは、

「人は生まれてきたからには、幸せになる義務がある」

 これが天命だと思っている。

(つづく)

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物質的幸福のみでは真の幸せを見失う997

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深見東州の「それからどうした」(41)

 ただし、幸せにはいくつかの段階がある。

 低い次元として、まず非常に即物的な快楽がある。これは、一般にいわれている性的な快楽、肉欲的な歓喜こそ一番楽しく幸せであるとする、動物的で肉体的な欲求を満たす考え方だ。

 少しランクが上がると、経済的、物質的豊かさの追求になる。おいしい食事を、はなやかな衣装を、大きくて快適な住居を、そして名誉や地位や富を、ということになる。

 しかし、このような低次元の即物的な幸せの追求には(もちろん、それらも必要なものではあるが)基準も限界も真の豊かさもないから、いつでも人は飢えた餓鬼のように、つぎつぎと量のみを追い求めることになってしまうのだ。そうして経済的、物質的な豊かさのみによる幸せは、求めれば求めるほどかえって真の幸せから遠ざかり、人の心を寂しくし、虚無を感じさせることになる。この真実をこそ、心せねばならない。

 私の知り合いに、ピーターというデンマーク人がいるが、彼が世界中を旅行し、その結果分かったことは、「一番貧しい国の人々が最も優しかった」という事実であった。何故だろうか?

(つづく)

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物質的豊かさだけでは人の心は豊かにならない998

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深見東州の「それからどうした」(42)

 物質の豊かさでは、人は決して心まで豊かになれないということではないだろうか。むしろ貧しい人々のほうが心が優しく、美しい……。このことについては、二千六百年も前のインドのゴータマ・シッダールタ、すなわち釈迦もまた、同じ悩みを抱えていたことはご存知だろう。

 王子として生まれた釈迦は、経済面はもちろんのこと妻も子どももいる何不自由のない生活を送っていながら、いつも心に満たされない虚しさを感じ続けていた。

「人は何のために生まれて、なぜ生きるのか」といったテーマが、常に彼の心を悩ませていたのである。

 そして、答えを求めてすべてを捨て、出家し、ついに大悟に達したのだ。

 人の一生は変化の連続である。そして「少年老いやすく、学なりがたし」という。

 青年時代はハンサムでスポーツマンだった人も、中年になれば腹も出てくる。肉体的なものはやがて老い、衰えてくる。女性も若い頃は人に振り向かれるぐらい美しかったのに、当然のごとく、年と共に醜くなり人気もなくなって寂しくなってくる。それは、誰一人として避けられない。実に哀しい天地の法則である。

(つづく)

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