「勇猛」の二字こそ最も大切なもの1010

ワールドメイトは、深見東州先生(=半田晴久氏)が教祖の宗教法人です。

このブログでは、ワールドメイトのリーダーである深見東州先生の「それからどうした」を紹介しています。幸せについて、人生でいかに選択するのか、などが解説されています。

深見東州の「それからどうした」(54)

 なんだろうと、白隠禅師が考えていると、

「それは、『勇猛』の二字じゃよ」

 なるほど……と非常に感心した途端、つっと夢からさめた。

『いやあ、すごい夢を見たもんだ。あれだけの大先輩たちが居並んでいて、しかも良いことを教えてくれた。勇猛の二字か』

 と、暫く考えていたが、ハタとヒザを叩いて、

「よしっ!わかったぞ」

 途端に、ガバッと布団から飛び起きて、お弟子さんたちを呼び集めると、ものすごく厳しい問答で問い詰めていった。

 それからがまた凄い。東に西に、講演活動や執筆活動、そしいてお弟子さんの教育にと今まで以上に奔走するようになった。

 そして、とうとう臨終を迎えることになったが、それはすごい臨終であった。その日、奥の部屋からものすごい大きな声が、

「か~っ!」

 と響いた。

「何がこの声は。お師匠がまた誰かに気合いを入れたのか」

 弟子たちは互いに顔を見合わせたが、それっきりだ。奥の白隠禅師の部屋からは、何の音も聞こえずシーンと静まり返っている。

 そこで、おそるおそる部屋へ近寄って、

「あのう、お師匠様。お師匠様」

 と呼びかけたが応答がない。フスマをそっと開けてみると、白隠禅師はフトンの中で、カーッという声を上げたままの姿で、右手を振り上げて亡くなっていたのだ。これこそ、即身成仏そのものの姿であったわけである。

(つづく)

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死の瞬間まで勇猛心で修業を続けた1011

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深見東州の「それからどうした」(55)

 この白隠禅師の言葉に、

 「我大悟を徹底すること七たび八たび。小悟を徹底すること、枚挙にいとまなし」

 というのがある。大いに悟って徹底したことは七たび八たびあり、小悟を徹底すること、枚挙にいとまなし」

 というのがある。大いに悟って徹底したことは七たびか八たびあり、小さく悟って徹底したことは、数えきれないほどだった、というわけだ。

 五百年に一度の天才と言われ、

 「駿河にはすぎたるものが二つあり、富士の山に原の白隠」

 と讃えられた人ですら、死の瞬間まで勇猛心で修業を続け、より深い悟りを求めて生き続けたのだ。

 現在の日本は高齢化社会の門口に立ち、今後いっそう人口の高齢化が進んでいく。

 今日、紅顔の美少年も、五〇年後には白髪の老爺となるのが人生の定めである。その時、どのような老いを迎えるのか、それを決めるのは、若い青春時代にどのように生きたか、ということだ。九十歳近くになって臨終を迎えるその時まで、

 「大悟徹底七たび八たび、小悟徹底枚挙にいとまなし」

 というほど、勇猛に修業のなかで生き貫いた、白隠禅師のように生きたいものである。

(つづく)

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勇猛に魂を磨き続ける白隠禅師のように1012

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深見東州の「それからどうした」(56)

 年老いて、病んで寝込むようになっても、身体が動き、脳が働いている間は、つまり意識のある間は、白隠禅師のように勇猛に生きる。

 ガンであろうと、脳軟化であろうと、結核であろうと、脳溢血であろうと事故であろうと、「かーっ」といって苦しみを乗り越えて死んでいけば、どんな病いも恐れることはない。勇猛に魂を磨き続ける白隠禅師のように生きれば、最高に素晴らしい霊界に行けるのである。

 そのための地ならし、種まきこそ、紅顔の青少年時代の内にしておかなければならないことだ。

 「明日は明日の風が吹く」

 というのは、石原裕次郎の死と共に終わった時代の言葉だ。

 この現代に生きる私達は、老後のために貯金することも大事ではあるが、それ以上に若い時に勇猛に生き、かつ自分の魂を鍛えておくことが必要なのだ。孔子の言う、いにしえの学者のごとく、「己のために」である。欲得ずくで安楽な老年期を過ごそうと多少の蓄えを成しただけでは、明日は風が吹くにしても、ろくな風が吹かないことになる。

(つづく)

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子供は親を越えて生きろ1013

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深見東州の「それからどうした」(57)

子供は親を越えて生きろ

 ヨーロッパのパスカルの『パンセ』に匹敵するのが、日本の兼好法師の『徒然草』であり、同じくヨーロッパのカントの哲学に匹敵するのが、道元禅師の哲学だと言われている。

 それほど、道元禅師の哲学は、非常にレベルが高い。しかし、白隠禅師の神学のレベルは、三ランクも五ランクも道元禅師より上なのである。

 道元禅師は鎌倉時代の人で、白隠禅師は江戸時代の人、という違いが、この二人を決定的に区別する要素となっている。

 道元禅師は、未開の分野を自分一人の力で開拓していかなければならなかった。そのために、どうしても「真実の求道」ということに対して、頑固でなければならかなったのである。

 それに比べると、白隠禅師の場合は、すでに道元禅師が切り拓いた足跡を辿ればよかったわけだから、道元の到達点までは比較的楽に到達できた。その差である。

 いつの時代にも、親の歩いた道を子供は辿るわけだから、子供の歩く道はすでに踏みならされている道であり楽なものだ。だから大人たちは、「近頃の若い者は」と、自分たちの努力を認めようとしない子供たちを、白い目で眺めることになる。だが子供たちは「大人には若い者の気持ちがわからない」と、大人たちの古さを批判する。

 しかし、大人を批判する若者たちは、批判するだけでなく、大人たちを乗り越える努力と修業を続けなければ、それは批判ではなく単なる愚痴になってしまう。

(つづく)

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自在性1014

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深見東州の「それからどうした」(58)

 ところで、白隠が道元を越えたところは、その「自在性」にある。

 白隠禅師は若い頃、法華経を読んだ時、どこを読んでも「例えば○○」「例えば」「例えば××」と書かれているので、何だこれは、

「法華経は辣韮(らっきょう)の実にさも似たり、むけどもむけども実はあらず」

 だから読む価値がないとして捨てたという。

 ところが四十数歳になったある秋のこと、白隠禅師は、法華経をもう一度研鑽して読んでみた。ちょうど白隠禅師の吸う息、吐く息にピッタリと合わせるように、庭のスズ虫やコオロギが、リーン、リーンと一緒に鳴いている静寂の中、虫の声だけが響いている。

 その瞬間、白隠禅師は、

 「あーっ」

 と悟った。

 その瞬間から涙が滝のように流れてきて止まらない。三日三晩、嗚咽をもらしながら涙が止まらずに、泣き続けたとのことだ。

 白隠禅師は、その時、頭ではなく魂で悟ったのだ。

 「あー、お釈迦様というのは、これほどまでに、慈悲深い方であったのか、だから法華経に書かれているように、ありとあらゆる人に、例えば、例えば、例えばとありとあらゆる例えをもって、仏法を説き続けられたのだ。最高の身分の人から、最低の人たちまでの全てに行き渡るほど、その慈悲が広く、深かったために、これほどまてにしつこくも、例えばこの時は、例えばこのようにして、と法華経を説かれたんだ」

 と。白隠はその瞬間に、法華経の精神と真髄を悟ったのである。

 法華経の精神と真髄を悟るということは、その時のお釈迦様と同じ境地になったということだ。だから、もう自分で法華経を説けるようになったのである。一度は捨てた法華経を、今度は自らの中に取りこんで活かすことができた。すなわちこの瞬間、法華経を説いた釈尊のように、高貴な方には高貴なたとえ、庶民には庶民に合わせたたとえ……と、千変万化の説法で仏法を説くことを体得したのだ。自在性の開眼である。

 白隠禅師は、道元禅師に勝るとも劣らない原理的なレベルの高い本から、『おたふく女郎粉引歌』に代表されるような、一般の庶民や無学文盲の人、子供であっても、楽しみながら理解できるような本まで、著作を沢山残している。

 この自在性こそが白隠禅師の大きな長所なのだ。

(つづく)

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どこまで自在に生きられるか1015

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深見東州の「それからどうした」(59)

どこまで自在に生きられるか

 白隠禅師の自在性というと、僧侶の話ということで、何か浮き世離れしていると感じるかもしれない。しかし、自在性という徳性は、人の世では実にその人の立場を左右することになる。結論から言うと、自在性が大きい人ほど高い地位に昇る。その逆も真なのだ。

 例えば、会社の社長が備えているべき資質として、『論語』には「君子は器ならず」という言葉がある。

 君子というのは器ではない、器を越えた器である、という意味だ。

 ところが神様の場合は、器相応に、例えば大臣に神がかれば、神がかった分だけ大臣の役割で、世のため、人のためにものごとに功徳を与えることができる。電気屋さんに神がかれば電気屋さんの仕事を通してのみ、人々に功徳を与えることができる、ということだ。

 それぞれの能力、実力に合わせてしか、神様の功徳を世の中に下ろすことはできない。

 器相応に神徳が出てくるわけだが、では最高の器とは何かと考えると、『論語』で書かれているように、器でない器、つまりいろんな器の人を自由に適材適所で活用し動かすことができる器、ということになる。己がないだけでなく、いろんな器を活かすことができる。

(つづく)

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器ではない器となる1016

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深見東州の「それからどうした」(60)

 最高のものというのは、己の一つのパターンを持たないで、何ものにも適応していけるような自在性がある。そして、無の状態で他を活かすことができる。それは、「働きのない働き」とでも言えるかもしれない。働こうと思ったら何でも働けるようになるのだ。

 いろんな器の要素を極めて、さらに極めていって。最後は器ではない器を作る。そうすることによって、長の長たる器が遂に完成するわけである。

 例えば、これを企業に当てはめてみれば、経営者、社長というのは、オールマイティであり、自在性を備えていて、会社の中で最高に偉い人、ということになる。

 平社員は、一つの仕事だけすればいいのだが、課長、部長とポストが上になるにつれて、仕事の種類と幅が次第に広がっていくことになり、その頂点に社長がある。それは、平社員から一つ一つポストが上がるにつれて、器でない器、働きではない働きといった、自在性を身につけていくことでもある。

 だから、人生というのは、器でない器になるための自在性を身につけるための成長の過程ということでもある。

(つづく)

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能力がないから大能を発揮できる1017

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深見東州の「それからどうした」(61)

能力がないから大能を発揮できる

 漢の高祖劉邦はそれまでは風来坊に過ぎなかった。仕事は何もしないのに不思議な魅力によって人を惹きつけ、戦国時代の風雲の中でいつの間にかのし上がった。この人は、小さな戦いでは勝てても大きな戦いになる負けていたのに、いつの間にか最後の戦いに勝って漢王朝の開祖となった。その劉邦が、高祖となったある宴席で重臣たちを前にして、一人一人を見ながらこう言った。

「物資の調達ということに関しては、Aよ、おまえにはかなわないな。策略の作戦を計画するのでは、B、おもまえにはかなわない。財務や懐具合、軍用金の調達ということで考えたら、C、おまえのやりくり頭には到底かないそうにない。兵の育成ということを考えたら、D、おまえには到底かなわない。戦いに必要な要素のどれひとつをとっても、わしがおまえたちより優れた面はないのに、どうしてわしは漢という国を樹立し、ここに座ることができたのか」

 と頭を傾けて言った。この時、傍らにいた重臣の一人が、

「いや、陛下は将の将たる器を持っているからです」

 と言った。

 物資の調達に関してはオレ以上の人間はいない。乗馬や調教に関してはオレ以上の人間はいない。人を育てる能力ではオレ以上の人間はいない。軍用金の調達に関してはオレこそ最高である……。といった一芸に秀でた人材というのは、探せばかなりいる。

(つづく)

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君子は器ならず1018

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深見東州の「それからどうした」(62)

 しかし、そうした「オレこそは」といった自信と自負と個性を持った才能を、それぞれにもっとも相応しいところに適材適所に配して、誰もがヤル気を持って一丸となってやれるよう指導していく。それこそが、「将の将たる器」であるということだ。そして、それこそが、高祖が漢帝国を樹立する原動力となったのだ。

 アメリカのケネディ大統領も、高祖劉邦と似て、ユニークな人材登用法で成功した。民間人や大学教授といった、政治のプロではない素人を側近に起用して、個々の能力をフルに発揮させ、後世に名大統領の名を残した一人だ。政治家としてのキャリアを重視するよりも、能力本位の人事で適材適所に配し、個々の政策立案はスタッフ達に責任を持たせて、自分はオールマイティに全体へ目を配るようにしたのだ。

 ここの問題は個々の器にさせ、自分は器ならざる器としての役割を果たして統括する。これが君子であり頭領である人物のあり方であり、洋の東西、古今を問わない真理なのである。

「君子は器ならず」

 君子というのは、器ではない。器ではない器である。

 天の与えた無尽蔵に大きな器を持って、天の徳をもって地の人々を活かす、ということ。これこそ、三十三相に化身する観音様の働きというものだろう。お姿はあるけれど、どれが本当の姿かわからないような自在性。どんな姿にでも化身できるということは、それだけ無限で無尽蔵だということである。

 そして、人が生まれ変わり死に変わりし、様々な体験を積んで自らを磨きながら、最終的に目指す境地は、この「器ではない器」だといえよう。一つの器に偏らない、オールマイティな器。その時人は、観音様のように、大自在で人を救えるし、世に本当に必要とされる人材になるのである。

(つづく)

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どうしたら幸せになれるのか1019

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深見東州の「それからどうした」(63)

第3章 どうしたら幸せになれるか!?


まず自分の幸せから始める

 人を幸せにしてあげたい、自分の幸せを犠牲にしてでも……というのは、実に美しい心根である。しかしまた、大変に難しいことでもある。

 だが、人の幸せももちろんだが、あなた自身はどうだろうか。自分を幸せにできない人が、人を幸せにはできないのではないだろうか。まず手はじめに、自分自身の幸せということを考えなければならない。なぜこんなことを言うからというと、残念なことに、他人のことばかりにかまけてしまって自分は結局不幸になってしまい、結果として自暴自棄になってしまう人が少なからずいるからである。これでは神様の本当の心には沿えないのである。

 まず、自分の幸せのために一生懸命努力して、なおかつ自分の人格を大いに高めること。

 そのうえで、世のため、人のためになるように、自分の実力を向上させる努力をしながら生きていく。

 このようにすれば、神様も大変喜ばれるし、本当の幸せというものを手に入れることができる。こういう人は、他人の幸せのためにも真に尽くすことができるのである。

(つづく)

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