神界と魔界1045

ワールドメイトは、深見東州先生(=半田晴久氏)が教祖の宗教法人です。

このブログでは、ワールドメイトのリーダーである深見東州先生の「それからどうした」を紹介しています。幸せについて、人生でいかに選択するのか、などが解説されています。

深見東州の「それからどうした」(89)

 霊能マンガなどというのもずいぶん子供達に読まれているようだが、まだ自己形成が済んでいない子供がヨガにせよコックリさんにせよ、そういうものに夢中になるのはいよいよ危険だと言える。大人よりも疑うことを知らないから、あっさり変な霊にひっかかってしまう。知人のお子さんとか、自分の周囲にそういう子供がいたなら、冗談だとして済ませてしまわないで、正しく対応し、導いてやって欲しいものだ。

 正しい霊能については、私の著書『吾輩は霊である』(たちばな出版刊)で詳しく述べているので、そちらを参照していただきたい。


神界と魔界

 宇宙を「気と理」の二種類から成り立っているとしたのが朱子学である。

 天地は全て気でできている。そして、その気がおのずから、しからしむべきように動いていく。その法則性を、理という。山は山としてあり、人間は人間として出てくる気があるのだ、というのである。大変すっきりした思想だが、実はこれでは神様の一面しか捉えることができていない。

 神なる存在は、気と意志を持っている。気と意志があって、そこにおのずから法則性があるので理が伴う。

(つづく)

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神界と魔界(2)1046

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深見東州の「それからどうした」(90)

 気の中に意志の力があるのは、神様も同じである。だから、人間が神様に近づこうと思ったら、はっきりと「私はこう思う」、「私はこのように生きたい、しかし間違っていたら反省して改めようと思う」という人格のあり方、明確な意志の存在、こうしたものがなければならない。

 法則性を司るのは意志の力であって、それが全て神様であり神界のことでもある。だから、宇宙は全部気でできているというのは間違っている。私は、理・気・意三元説が本当だと思う。

 高級な霊は、魂の主体性を大切にする。何から何まで人間のなすことを思い通りに動かそうとはしない。こちらの人格を尊重することなく、次々と人に要求してくるのなら、それは正神界の神霊ではない。本人の意向を無視して次から次へと要求してくるのは、人の肉体を利用して、その霊が何か自分の欲を満たしたいと考えているのであって、人の魂に対して愛や真心を持って接しているのではないのだ。

 高級神霊が人に懸かることもあるが、その場合、時間をかけてその本人の個我を大切にして導き育てる。ところが低級霊であれば、人の主体性や個我を尊重することなく、自分の目的のために人の肉体を利用するのである。

 だから、こうした低級霊に憑かれた霊媒師たちは、死んだらどこへ行くかとというと、魔界に堕ちることになるのだ。

(つづく)

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天上天下唯我独尊1047

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深見東州の「それからどうした」(91)

 自分はこう思う、こうあるべきだ、という明確な自分の主体性や意志をしっかりと持たなかったこと、すなわち、自分の言動に愛が無かったことを反省したり、自分の我が出過ぎたことを反省したりといった、一個の人として自分自身の魂や意志を持った主体としての己を磨くことをしなかったこと、この点を神様から裁かれる結果として、魔界に堕ちるのである。


『天上天下唯我独尊』はこうして生まれた

 「天上天下唯我独尊」というと、ほとんどの人が聞いたことがあるであろう有名な言葉である。

 しかし、お釈迦様が生まれてきた時に、突然左右の人差し指を天と地に向けてそう言った、などと教えている。あるいは、慢心して人の言葉に耳を貸さない人のことを、「あの人は『天上天下唯我独尊』だからなあ……」などと使われる。本当に誤って理解している人が多い。ここで正しておくことも意味があるかもしれない。

 お釈迦様は、本当の自分、本当の人生とはどこにあるのか。本当の生命、本当の自己は、どうしたら本当の道を究めることができるのか。本当のものは一体どこにあるのか、こうした大疑団を抱えて、六年間の断食修行をなさった。これも有名なお話しで、ご存じの方も多いはずである。

(つづく)

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無の境地1048

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深見東州の「それからどうした」(92)

 粟粒ひと粒すら食べないような状態で修行を続けている時に、さる仙人を訪ねて次のような質問をした。

「一体どこに本当の道があるのでしょうか」

「何も思わない。思わないということすらも思わない、という時に、人間は真実の状態になるのだ」

 仙人は「無」の境地のことを言ったわけである。

 しかし、本当の「無」というのは、自分の魂を自分なりに表現してはいるものの、そこに我欲や気負い、あるいは悪念といったものが見られないという状態のことであり、中身がまるで無い伽藍胴のスッカラカンということを言うのではない。

 普通の人なら、よく意味がわからなくても、「無」と言われると、何だかわかったような気持ちになつてしまう。「なるほど無の境地か」「何も思わない。何も思わないということすら思わないぐらいに、何もないところに真実があり、絶対空間があるのか」と納得するものだ。

 大体、何も考えないなら、考えるより楽でいいや、と思ってしまう人もいたりする。

(つづく)

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天上天下唯我独尊1049

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深見東州の「それからどうした」(93)

 しかし、お釈迦様は納得しなかった。

「何もない。思わないということすら、思わないぐらい何もない時に、はたして私というのがいるのかいないのか。自我というのはあるのかないのか。どちらなのでしょうか」

 お釈迦様のこの問いかけに、仙人は答えられなかったという有名な逸話である。

 本当のこの私というのは何なのだ。真実の道というのはどこにあるのだろう。難行苦行をしても、その答えは得られない。かといって、悠然と安逸な人生を送っていては、絶対に極められるものでもない。

 そこで、もっと本質的なまものを見なければいけないと思い立ち、菩提樹の下で静かに端座したのであった。

 座っていると、夜になり満点に星が降るように輝く。その中でも、宵の明星、金星の輝きが一際鮮やかに輝き出した時に、突然悟りを開いたのだ。それが、

「天上天下唯我独尊」

 という言葉になったのである。

(つづく)

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涅槃寂静1050

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深見東州の「それからどうした」(94)

 天が上にも、天が下にも、ただ我こそが一人貴い。天が上にも、天が下にも、私一人こそがただ貴い。

 本当に何もない時に、私はあるのかという迷いの中で、悟りを開いただけに、その時にお釈迦様の心から湧き出してきた歓喜は、純粋で爆発的なものがあった。

 絶対的な自分というものの意識。これが自分の中の本当の自分なのだ、といった歓喜が満ちる。

 これが「涅槃寂静」の境地である。


涅槃寂静を間違えるな!

 普通、涅槃寂静の境地といえば、とても静かで澄みきった世界、といったものを考えがちだが、これも誤解である。

 お釈迦様が悟りを開いた涅槃寂静の境地というのは、理屈も文学も乗り越えて、歓喜が、身体全体から、そして心の底から爆発するように次々と湧きあがってきて手を振り足の舞うところを知らないといった、ダイナミックな心境なのである。

(つづく)

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究極の悟り1051

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深見東州の「それからどうした」(95)

 自分にとっては、どれほどの地位や名誉、財産や喜びをもってしても、今のこの歓喜を越えることはできない。それほどにこの「天上天下唯我独尊」という、究極の悟りは大きなものだったのだ。

 お釈迦様にとっては、六年を超える難行苦行の末に得た悟りである。なまじの人に話をしても、とてもわかってもらえないだろうから、人に話すのはやめようと真剣に思ったほどだったのである。

 しかしその時、梵天・帝釈天が現れて、お前の今悟った幸せを、まだ本当の道がわからない人たちのために布教しなさい、と話された。

「私のこの気持ちは、極めがたい難解難入のものですから、人に説いてみてもわからないと思います。説いても無駄だと思われますが」

「いや、それでもいいから、話なさい。そして苦しんでいる人を少しでも助けなさい」

 ということで、お釈迦様は布教されることを決心したのであった。

 不可能を知りつつも、少しでもそこに近づくようにということで努力を続けた。「天上天下唯我独尊」という言葉には、そのようにして悟りを開いたお釈迦様の努力がある。

 くれぐれも「世界中で自分ひとり偉い」などと誤用しないで欲しい。

(つづく)

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芸術がわからないと神様はわからない1052

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深見東州の「それからどうした」(96)

芸術がわからないと神様はわからない

 自分を探求し続けることで悟りの境地に到達し、歓喜に満ちた本当の自分に目覚める。それが永遠の自己なのだ。

 その境地においては、自分を失っているのではなく、自分の個我というものがしっかりと確立されている。自分のなかにある神様や仏様の部分が、はっきりとした人格、意志の力として主体性を持っているのである。

 それは、ヨガで言うように、エネルギーや気などによって宇宙と一体となるといったものとは異なる。

 例えば、霊をうつしてそれをそのまま伝えるなどという霊能者がいるが、本人がそれをどこまで主体的に、消化吸収して自分のものとして出しているのか。それでその霊能のレベルがわかるのである。

 神霊というのは完全であり究極的に美しい。そういう美とか感覚というものを、自分の魂でよく噛み砕いて、主体的な自分として表現するというのは、現世では芸術の分野に近い。音楽にしろ、絵画や書道にしても、自分なりの魂で何か受けたものを表現する。神様に近づく道は、この芸術と大変似ている。

 美の世界を、自分の魂を通じて、魂の美によって表現するところに芸術の本当の意味がある。もちろん、美のなかには、頽廃の美というものもあるが、これは地獄の霊が喜ぶ美でしかない。

(つづく)

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美にもランクがある1053

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深見東州の「それからどうした」(97)

 美にもランクがあって、それなりに人を幸せにし、感動を与えるものが芸術としての美だ。

 神様というのは、大科学者であると同時に大芸術家でもあるから、芸術的要素を踏まえないと、本当の神様はわからない。すぐれた芸術家は、本当に美しいものをとらえて、自己を介して本当に美しいもの(作品)として創作する。単なるコピーではないし、実際、行っていることは神様に近い。

 だから、自分のことを神様だと称している人で、絵がとても下手だとか、すごく字が汚いとか、歌を歌うと近所のヌカ味噌が腐るといった人は、実は神様などでは全くないということである。

 もっとも、芸術で高度な美を表現するには熟練がいる。だから神がかるような人でも、今はまだ芸術の才能はあっても表現し切れない場合もあるだろう。要は、その人が芸術に素質があり、センスがあり、開眼している、真髄を得ているなど、芸術を解する人だということが、神の美や、神そのものを、何かで素晴らしく表現できて神人合一できる人だということになるのである。

 もし、そうした芸術的才能(素質やセンス)を持ち合わせていないなら、その人は偽物である。そんな人に高級神霊が神がかるわけがないのだ。

 神の素晴らしさや美しさの万分の一もキャッチできないし、ましてや表現し得るわけがない。

 そういう人の話を聞くくらいなら、美術館やコンサートに行って素晴らしい芸術作品に接するほうが、よほど神様に近づくことができるのである。

(つづく)

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あなたの幸せを妨げようとする別の力1054

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深見東州の「それからどうした」(98)

第5章 悪因縁はこれで切れる!

霊障は天の警告

 前章までは、幸せになるための方法を、歴史上の人物などの例を取り上げながら様々な角度から検討してきた。その考え方と哲学を深く理解し、明るく前向きな姿勢で日常生活を過ごしていくなら、あなたはもう「どうしよう」と思い悩んで、迷い道に入り込むこともなくなるだろう。そして、これからの人生を自分の目標に向かって真っ直ぐに歩んでいくことができるはずである。

 しかし、どんなに努力しても、何か物事がうまく進まない、身の回りで不可抗力と思われるような事故が起き続けるといった場合、あなたの幸せを妨げようとする別の力が働いていると思ったほうがいいだろう。

 結論を言うなら、それは「霊」の仕業(霊障)なのである。

 この本のテーマは「幸せ」ということだが、誰にとっても一番の願いである幸せを、積極的に妨害しようとしているのが悪霊なのだ。霊については拙著「吾輩は霊である」で基本的な心得を一通り説明したが、ここでは、少し角度を変えて、その積極的な防御法を中心にお話ししたいと思う。これを参考してもらって、あなたの「それから」をさらに充実したものにしていただければ幸いである。

 霊界の法則については3章で簡単に説明したが、人間は死んで肉体を失えば、誰でも霊界へ行って一定期間の修業を積まなければならない。しかし、中には肉体を失ってもその法則に従うことなくこの世をうろついている霊もいる。これが、邪霊とか悪霊と呼ばれている低級霊である。

(つづく)

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