社会を構成する第一号はまず自分自身1105

ワールドメイトは、深見東州先生(=半田晴久氏)が教祖の宗教法人です。

このブログでは、ワールドメイトのリーダーである深見東州先生の「絶対運」を紹介しています。運の強弱について、自力と他力、運・不運の分かれ目、などが解説されています。

深見東州の「絶対運」(29)

 断っておくが、神霊研究家としての私、および「ワールドメイト」の願いのひとつは「世のため人のため」に役立つことにある。ひとりでも多くの人に幸福になっていただくための、神霊研究活動を行っている。けっして「われのみよし」という生き方を勧めているのではない。

 つまり、社会を構成する第一号はまず自分自身であるということ、その自分をまずしっかり確立してから、自分以外の人へと手を伸ばしていくことが、永続する真実の幸運をつかめるということなのだ。

 犠牲的な愛はたしかに美しいかもしれない。そう説く宗教の教えもある。しかし、犠牲になった生命の無言の叫びは痛ましく、悲しい。

 あえてそのような悲劇的な人生を選ぶよりも、あらゆる知恵をしぼり努力をはらって、「われもよし人もよし」の生き方を目ざすほうが、自然である。そしてまた前向きで調和的で、より永続する幸福を築けるのではないだろうか。「強運を得よう。自力をつけよう」とするあなたに、まずこの「われもよし、人もよし」の大原則、基本的な考え方を徹底して身につけていただきたい。

 この考え方、生き方が前提にあってはじめて、真の自力が伸び、不動の強運=絶対運を自分のものにできるのである。

(つづく)

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われもよし人もよしは、自然の法則1106

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深見東州の「絶対運」(30)

 もちろん、いつまでも「われよし」だけでは運気はしだいに停滞し、やがて運勢というエネルギーの方向はプラスからマイナスへと転換していくであろう。賢明な読者はすでに察知しておられるように、不運続きの不幸な人というのは、いわば公害人間のことであり、「己のみ」を中心に考え、行動しているタイプに多いのである。

 むろん、善良でも人に尽くしながらなお不運という人もいる。だが、このタイプの不運の原因は別にあるので、ここではふれない。

 エゴイストであれ、そうではない献身タイプの人であれ、いずれにしても不運からの脱出には、「われもよし、人もよし」を前提とした生き方が必要なのである。

 そのことは、われわれをとりまく宇宙の大いなる自然をよく観ると理解しやすい。

 太陽や月やこの地球や無数の星々のあり方をはじめ、身近な山川から一木一草にいたるまで、それぞれが個性を精いっぱい開花させながら、しかもなお全体との美しい生命の調和を見事に保っている有様に目を向けるとき、まさに「われもよし、人もよし」は、自然の法則であることが実感できよう。

(つづく)

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「われもよし、人もよし」は宇宙の法則1107

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深見東州の「絶対運」(31)

 すなわち「われもよし、人もよし」は、宇宙の法則なのである。

 いささか宗教くさい表現かもしれないが、こうした自然の姿、生命は、こまごました地上のあらゆる宗教を超えて存在する神の立場であり、これがまさしく日本古来よりある「惟神」そのものの姿なのである。

 あなたがあなたの潜在する自力を伸ばし、絶大な強運を得ようとするならば、自然の法則、宇宙の法則に則ることである。つまり、惟神の生き方に徹することなのである。

 そして、さらに、人はすべて強運で幸福な人生を歩むのが義務であり責任であるとも断言しておく。なぜなら、自分が不運であることは、他をも不幸にする可能性があるからだ。それでは自然の法則に反する。「公害人間」などというきつい表現を使ったのも、もし万一あなたが心中ひそかに「自分こそ公害人間かもしれない」と思った時には、ぜひとも発奮していただきたかったからである。

 もし、今あなたがかりに不運であっても心配はいらない。あなたの持っているエネルギーの角度をちょっと調節して、プラスへ向けるだけでよいのだ。

(つづく)

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挫折をはね返す心のバネを持て1108

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深見東州の「絶対運」(32)

挫折しても得るものはある

 挫折して落ち込んだことのない人に、本書は用がない。当たり前といえば当たり前だが、そうした経験のない人はほとんどいないだろうし、いたとしてもそんな人物に魅力を感じはしない。

 挫折し、落ち込むからこそ、われわれは人の心の痛みがわかる。それが心のひだというものだ。ツルンとしたなんのひだもない心なぞ、どこに味わいがあるというのだ。

 しかしだからといって、こぞって何事にも挫折し落ち込みましょう、などというのではない。

 挫折し、心に深い傷を負うこと自体がよいわけではない。いや、むしろ魂を傷つけることはできるだけ避けなければならないのだ。

 心に深い傷を負い、魂を汚すとはどういうことなのかといえば、何かに挫折し落ち込んでしまったとき、その状態をハネのけて健全な元の自分に戻ることができず、いつまでもその不運な状態で居続けることをいう。それが長期になれば、心は歪み、しだいに魂は傷ついていく。再起はいよいよむずかしくなり、不運が不運を呼ぶという泥沼に陥ってしまうだけである。

 挫折し落ち込んだと思った瞬間、それをはね返す心のバネがあれば、ことは違う展開となる。

(つづく)

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心のバネがあるとき挫折は挫折ではなくなる1109

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深見東州の「絶対運」(33)

 しなやかな心のバネがあるとき、失敗は失敗ではなく、挫折は挫折ではなくなる。すべてが成功のための準備であり、心の糧であり、強運をより確実にするための一つのプロセスになるのだ。

『菜根譚』の洪自誠もこう説く。

 一苦一楽して相錬磨し、練極まりて福を成さば、其の福始めて久し。一疑一信して……。


 辛い思いをしたり楽しんだりすることで磨き合い、その結果が極まって幸福が成就されたなら、それは永続するものである。また、疑ったり信じたりしながら、考えぬいて考えぬいて最高に達したならば、本物の智識をはじめて体得できるのだ、と-。

 ころぶことを恐れるよりも、何回ころぼうともすかさず起きあがれば、丈夫な足腰に鍛えあげられていき、やがてころばなくもなる。

 そんなことはわかっている。わかっていてもすぐに起きあがれないから辛いし、その苦しい不運を嘆いているんだ……。

(つづく)

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損も得も自分自身が招いている1110

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深見東州の「絶対運」(34)

 こうおっしゃる人に、もう一言いわせてほしい。

 禍と福とは門を同じくす。利と害とは隣りをなす。(『淮南子』)

 思いあたることがおありだろう。

 わざわいも福も同じ門から来るのであって、人がこれを招くのである。もっと言えば他人がではなく、自分自身が招いているのである。また、利と思うものは反面に害を招き、害と思うものは他面に利となることが多い。だから、われわれはものごとを頑固に一面からのみとらえないで、あらゆる角度から理解できるという咀嚼力を身につける必要がある。この咀嚼力の弱い人は、心のバネも弱く、もろい。当然のことに運気にも乏しい。

 では、どうしたらしなやかで靱い心を自分のものにすることができるのだろうか。挫折や落ち込みから自力でどうしたら脱出でき、勢いを盛り返すことができるのだろうか。

(つづく)

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自力をつける二つの方法1111

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深見東州の「絶対運」(35)

自力をつける二つの方法

 悩み、苦しみ、落ち込んだ精神状態からいち早く出するコツは、とらわれている心そのものを捨て去ることである。

 仕事の失敗、失恋の痛み、人間関係のこじれ……、悩み、苦しむ理由はさまざまであろうが、苦しみから心を一刻も早く解放してあげることである。

 心を解放し、とらわれている苦悩する心を捨て去るにはどうすればよいかといえば、まず、その悩み以外の、目前の身近なことに集中することである。頭だけで考えず、実際に体を動かして、すぐやらねばならぬことを即実行することである。

 対象はどんなことであってもよい。たとえば机のひき出しの整理を突然はじめるのもよいだろう。たまっている何人かにお礼状や挨拶の葉書の下書きをすることであろうと、靴箱からはきものをすべて引っぱり出して、ピカピカに磨きあげたり、狭いマンションから飛び出し広々とした銭湯で好きなだけ入浴したり、趣味があればそれに打ち込むことでもいいのだ。

 部屋や台所のかたづけから書類の整理まで、やるべきことはいくらでも見つかる。そのことに、次から次へと没頭する。

 これでよいのである。

(つづく)

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とらわれの心を捨てる1112

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深見東州の「絶対運」(36)

 これでよいのである。

 あまり平凡すぎてバカバカしいと思われるだろうか。

 そうではないのである。実際に実行もしてみないで、頭だけ考えてなあーんだなどとバカにするようでは、眠れる自力を百パーセント出しきることは不可能であり、真理を体得することも永久にできないであろう。

 われわれが思い悩み、その解決の糸口を見出すことがなかなかできないのは、悩みに拘束され過ぎて、新しい発想、角度を変えた着想が得られないからである。

 では、どうすれば、すばらしい閃き、発想を得て、生き生きとした魂がよみがえるのだろうか。

「無」である。すべてを空しくすることである。

 禅宗ではこの無になることを修業の目的としている。とらわれの心をいかに捨てるかという訓練を積み重ねるのだ。

 念の出ずることを恐れずに、その悟ることの遅きを恐る。

 という言葉がある。無心になろうとしても人間というものは、見たり聞いたりしたことから刺激をうけて、次から次へと種々雑多な雑念が出てくる。

(つづく)

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こだわりをなくし無心になる1113

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深見東州の「絶対運」(37)

 美しい人を見れば美しいと心を動かされ、好きなものを見たらついついそれに引きつけられ、面白そうなことを聞けばそれに耳を傾けてしまう。美味しいもの、快いものなど、われわれの感覚に訴えてくるものはいくらでもある。心はつねにゆさぶられ、刺激され、欲望や焦燥のために平安なひとときを保つことができない。いたずらに心をわずらわし、考えすぎて解決の糸口のない「悩みの蟻地獄」に引きずり込まれていく。

 ああでもない、こうでもないと考えあぐねているうちに、チャンスを見逃したり、逆に次の機会にあせってしまい、大ヤケドを負うこともある。その失敗がさらに悩みを深刻にし、人間を臆病にしていく。

 こういった状況に陥ると、ここ一番という時に適切な行動をとるための状況判断がまったくできなくなってしまう。進むべきは進み、退くべきときは退く。沈黙すべきは沈黙し、打って出るときは敢然と打って出る、という臨機応変に対応するしなやかなバネも知恵も行動力も失ってしまうのである。

 それを避けるため、いや、もっと積極的にそうした知恵とそれに裏打ちされた行動力を身につけようとするのが、禅における修業なのだ。

 これまでふれたように、悩みとか落ち込んだ心の状態というのは、ひとつのことにこだわっているからである。そのこだわりをなくし、無心になるテクニックが禅なのだ。

(つづく)

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雑念は消えない、それよりも悟ることが大切1114

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深見東州の「絶対運」(38)

 とはいっても、人間、自然に湧いてくる念を消し去って無心になることは、そう簡単にできるものではない。念を消そう、消そうとしても、そう思うこと自体がさらに大きなひとつの念であるために、いつまでたっても無心になることは不可能なのだ。

 禅では、「念は出るにまかせてそれにこだわらず、ひとつの真言に軽く注意を向けよ」と指導している。こういった状況を維持しているうちにその真言すらも忘れてしまって、いつしか無心(空)の状態になっているというのである。

 さきの、「念の出ずることを恐れず……」という言葉も同じ状態を指摘しているのだ。

 現実に坐禅を組んでいただきたい。足は結跏趺坐でも半結跏趺坐でもいい。両手で生卵を持つように指をそえ、臍下丹田に力を入れ、目を半眼に開く。このとき無理に無心になろうとしても、念は次から次に出てくる。だから、ほっておいてよろしい。出て来る念の一つひとつを気にしていては、いつまでたっても無心にはなれないし、その結果悟りに到達することはできない。いや、それよりも悟ることが目指すところであって、念そのものを失くすことが目的ではないのだ。

(つづく)

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