禁欲は大変に辛く苦しい991
ワールドメイトは、深見東州先生(=半田晴久氏)が教祖の宗教法人です。
このブログでは、ワールドメイトのリーダーである深見東州先生の「それからどうした」を紹介しています。幸せについて、人生でいかに選択するのか、などが解説されています。
深見東州の「それからどうした」(35)
比叡山は、自分で仏道を成就させたいと「発願」してやってきた人の「修行の場」だ。その願望を成就するために妨害となる酒、女、バクチなどを断つのは、ごく当然のことだ。そうしたものが欲しくなるのは、発願があやふやでいい加減なのか、あるいは修行に熱中していないのか、どちらかだからである。
どちらの在り方も、比叡山が必要としないものである。比叡山や高野山、出羽三山などが長い間女人禁制であったのは、せっかく没頭し、熱中している仏道修行者達の心に動揺を与えないためだったのである。
しかし、この禁欲は大変に辛く苦しい。これほど世界的にタバコ喫煙の害が叫ばれながら、なかなか禁煙に踏み切る人が増えないのは、それだけ人間の欲望の強さを表してもいる。酒も女性も本当に断てる人が昔も今もどのくらいいることか。
だが、当時、法然と親鸞は、このような「禁欲修行」に疑問を投げかけた革命児だった。
当時の僧侶にとっては、禁酒、妻帯の禁止、肉食の禁止といった戒律は、常識的で普遍的な真理だと考えられていた。
(つづく)
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深見東州の「それからどうした」(35)
比叡山は、自分で仏道を成就させたいと「発願」してやってきた人の「修行の場」だ。その願望を成就するために妨害となる酒、女、バクチなどを断つのは、ごく当然のことだ。そうしたものが欲しくなるのは、発願があやふやでいい加減なのか、あるいは修行に熱中していないのか、どちらかだからである。
どちらの在り方も、比叡山が必要としないものである。比叡山や高野山、出羽三山などが長い間女人禁制であったのは、せっかく没頭し、熱中している仏道修行者達の心に動揺を与えないためだったのである。
しかし、この禁欲は大変に辛く苦しい。これほど世界的にタバコ喫煙の害が叫ばれながら、なかなか禁煙に踏み切る人が増えないのは、それだけ人間の欲望の強さを表してもいる。酒も女性も本当に断てる人が昔も今もどのくらいいることか。
だが、当時、法然と親鸞は、このような「禁欲修行」に疑問を投げかけた革命児だった。
当時の僧侶にとっては、禁酒、妻帯の禁止、肉食の禁止といった戒律は、常識的で普遍的な真理だと考えられていた。
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