自在性1014

ワールドメイトは、深見東州先生(=半田晴久氏)が教祖の宗教法人です。

このブログでは、ワールドメイトのリーダーである深見東州先生の「それからどうした」を紹介しています。幸せについて、人生でいかに選択するのか、などが解説されています。

深見東州の「それからどうした」(58)

 ところで、白隠が道元を越えたところは、その「自在性」にある。

 白隠禅師は若い頃、法華経を読んだ時、どこを読んでも「例えば○○」「例えば」「例えば××」と書かれているので、何だこれは、

「法華経は辣韮(らっきょう)の実にさも似たり、むけどもむけども実はあらず」

 だから読む価値がないとして捨てたという。

 ところが四十数歳になったある秋のこと、白隠禅師は、法華経をもう一度研鑽して読んでみた。ちょうど白隠禅師の吸う息、吐く息にピッタリと合わせるように、庭のスズ虫やコオロギが、リーン、リーンと一緒に鳴いている静寂の中、虫の声だけが響いている。

 その瞬間、白隠禅師は、

 「あーっ」

 と悟った。

 その瞬間から涙が滝のように流れてきて止まらない。三日三晩、嗚咽をもらしながら涙が止まらずに、泣き続けたとのことだ。

 白隠禅師は、その時、頭ではなく魂で悟ったのだ。

 「あー、お釈迦様というのは、これほどまでに、慈悲深い方であったのか、だから法華経に書かれているように、ありとあらゆる人に、例えば、例えば、例えばとありとあらゆる例えをもって、仏法を説き続けられたのだ。最高の身分の人から、最低の人たちまでの全てに行き渡るほど、その慈悲が広く、深かったために、これほどまてにしつこくも、例えばこの時は、例えばこのようにして、と法華経を説かれたんだ」

 と。白隠はその瞬間に、法華経の精神と真髄を悟ったのである。

 法華経の精神と真髄を悟るということは、その時のお釈迦様と同じ境地になったということだ。だから、もう自分で法華経を説けるようになったのである。一度は捨てた法華経を、今度は自らの中に取りこんで活かすことができた。すなわちこの瞬間、法華経を説いた釈尊のように、高貴な方には高貴なたとえ、庶民には庶民に合わせたたとえ……と、千変万化の説法で仏法を説くことを体得したのだ。自在性の開眼である。

 白隠禅師は、道元禅師に勝るとも劣らない原理的なレベルの高い本から、『おたふく女郎粉引歌』に代表されるような、一般の庶民や無学文盲の人、子供であっても、楽しみながら理解できるような本まで、著作を沢山残している。

 この自在性こそが白隠禅師の大きな長所なのだ。

(つづく)

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tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久

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