一つのことに集中し没入して無の状態を創っていく1399

ワールドメイトは、深見東州先生(=半田晴久氏)が教祖の宗教法人です。

このブログでは、ワールドメイトのリーダーである深見東州先生の「宇宙からの強運」を紹介しています。運の強弱について、自力と他力、運・不運の分かれ目、などが解説されています。

深見東州の「吾輩は霊である」(2)

この世とあの世 吾輩は「霊」である

第1章 吾輩の悪霊追い払い秘伝

一つの事に夢中になって、我を忘れる「無心」がよい

 一つの事に集中し、それによって無になる方法として、真言密教では阿字観、天台宗では止観というものがある。また、経文の要諦を示す一部を唱えて没入するというのが、南無阿弥陀仏の親鸞上人らのやり方であり、南無妙法蓮華経をひたすら唱える日蓮上人の没入法であった。これらは、一つのことに集中し没入し、その間は他の事柄はまったく忘れてしまうのみならず、目前の集中している物事まで忘れる程(つまり我を忘れるという状態まで)必死になることによって、無の状態を創っていこうというものである。

 これに対して、中途半端に頭を使って禅をやる人は、無とは何だろうということを考えている。無、無、無、無はどうなんだろうか、何も考えなければいいんだろうか……。そして、物事に集中して無となるのではなく、無になろう無になろうとばかり連想する。だから、脳の中は本当に静止した無になっているのである。

 ところが、しんな脳(意識)をストップした無の心境に入ると、いいもの(善霊)も来るが、悪いもの(悪霊)も来る。このことを正しく知らない人が、やたらに瞑想したり、座って無念無想するというのは、大変危険なことなのである。

 守護霊とか守護神様に近い霊格を持った、かなり修業を積んだ人ならば、一時、無の境地に入るのも良いだろう。霊層が高いので高級神霊の守りも厚く、悪霊も恐がって寄ってこられないからだ。ところが、面白半分や興味本位で瞑想などをする場合には、ほとんど九分九厘まで悪いものが入ってくるのだ。都会や人ごみの中など、場所も選ばずに行えばなおのことである。

(つづく)

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tag : 深見東州 ワールドメイト 半田晴久

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