仏壇は霊を人間の体にかからせないため1494

ワールドメイトは、深見東州先生(=半田晴久氏)が教祖の宗教法人です。

このブログでは、ワールドメイトのリーダーである深見東州先生の「吾輩は霊である」を紹介しています。運の強弱について、自力と他力、運・不運の分かれ目、などが解説されています。

深見東州の「吾輩は霊である」(97)

 詳しくは私の『仏壇の正しい祀り方』という講義テープを聞いていただきたいが、少しつけ加えると、仏壇の依り代にかからなければ、死者の霊は人間の体にかかりたがる。ところが霊が人の体に一日でも憑くことは、霊界法則に反することなのだ。一日憑いたらその何倍、何十倍という期間、辛く厳しい霊界修業に行かされる羽目になる。すなわち、人間の体にかからせないために本来、仏壇はあるのだ。こっちにかかりなさいという意味と働きが、仏壇と位牌には元々ある。

 ところが、仏壇にかかるということも、実は霊にとっては本来、良くないことなのだ。これについては、後ほど述べよう。

 さて、死んで霊となった者は、あの世で霊界修業という次の習得過程が義務として待っている。ただし死後三十年ぐらいは、地上に極々近い世界である幽界に行くことになる。およそ三十年、まあ大体三十三回忌ぐらいまで仏壇で供養してあげればよい。彼らはそれ以上、この地上にいることは許されないのだ。人は死後もなお、しばらくは現世の思いが残るので、三十年かけて「幽界」で生前の垢を払拭し、それぞれの霊界へ行く。これが天の八衢修業だ。

 その間は、一周忌、三周忌、七回忌、十三回忌、ときちんと供養してあげたほうが良い。

 霊というものは、「せっかく十三回忌のつもりで来ているのに、なぜ供養をやってくれないのか」などと思ったりもする。霊が騒いで病気が起きたり、長男や次男がおかしくなったりということも多々あるのだ。

(つづく)

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tag : 深見東州 ワールドメイト 半田晴久

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