格物致知の本当の意味(2)148

ワールドメイトは、深見東州先生(=半田晴久氏)が教祖の宗教団体です。

このブログでは、ワールドメイトのリーダーである深見東州先生の「大除霊」を紹介しています。人間の本質とは何か、悪霊、除霊、カルマ、水子供養、因縁などについて解説しています。

深見東州の「大除霊」(32)

 これに対して、「道心これ微(かす)かなり」とは、本来すばらしい神性(しんせい)や仏性(ぶっしょう)や御魂の発露といわれる道は、非常に微かなものであり、日々に精進して、その灯が消えることなきようしっかりと不動のものにしなければならない、という意味だ。

 人間は肉体をもって生きている。だから、どうしても物質的なもの、つまり人心の方を強く感じてしまう。しかし、これに振り回されると結局、身の破滅を招くことになる。では、どうしたらいいのだろうか。その微かなともし火を大事にあたためて、不動の道心を身に備えなければならないのである。ところで、読者もご存じだと思うが、比叡山を開かれた伝教大師最澄(でんぎょうだいしさいちょう)。彼は、『山家学生式』という書の中で、比叡山の使命を明確に謳っている。要約すると「道心は宝である。そして、道心をもってこれを人々によく語り、かつ、よくこれを実行できる人こそが国宝である。当比叡山は、この国宝を育成することを第一の目的としている」というもの。これを見ればおわかりのことと思う。最澄の学問の奥の中心に、この「人心これ危うく、道心これ微かなり」がはっきりと意識され、咀嚼されていたということが。

 以上が、「人心これ危うく、道心これ微かなり」のおおよその意味なのであるが、これと比較すれば「格物致知」の意味が鮮明になってくることと思う。

 つまり「格物致知」は、「人心をなるべく収めて、先天的に宿っている道心の本体たる御魂の欲する道を強く、確固たるものとして実行しなさい」ということなのである。

 この観点に立てば、先ほどから私がいってきた学問とか教養というものが、単に知識を吸収したり分析力を鋭くするということではないことがおわかりになると思う。

 これを別の角度から説明すると、『論語』に見える「いにしえの学者は己の為にし、今様の学者は人の為にする」という言葉に要約できる。

 ここでいう「己の為」とはエゴイズムを意味するわけではない。また、「人の為」は世のため人のためにという意味ではない。

 昔の学者は己自身の修養として学問をしていた。現在の学者は、他人に知識や分析力を誇示せんがためにやっている-これが、この言葉の真の意味である、孔子の嘆きでもあったのである。

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tag : 深見東州 ワールドメイト 半田晴久 神性 仏性 御魂 伝教大師

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